〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 

2008/03/08 (土) 帚 木 (七)

容貌 (カタチ) きたなげなく、若やかなるほどの、おのがじしは塵 (チリ) もつかじと身をもてなし、文を書けど、おほどかに言選 (コトエ) りをし、墨つきほのかに、心ともなく思はせつつ、またさやかにも見てしがなと、すべなく待たせ、わづかなる声きくばかり言ひ寄れど、息の下にひき入れ、言少ななるが、いとよくもて隠すなりけり。
なよびかに女しと見れば、あまり情 (ナサケ) にひきこめられて、とりなせばあだめく。 これをはじめの難とすべし。
事がなかに、なのめなるまじき、人の後見のかたは、もののあはれ知り過ぐし、はななきついでの情 (ナサケ) あり、をかしき進めるかた、なくてもよかるべしと見えたるに、また、まめまめしき筋を立てて、耳はさみがちに、びさうなき家刀自の、ひとへにうちとけたる後見ばかりをして、朝夕の出で入りにつけても、公私の人のたたずまひ、よきあしきことの、目にも耳にもとまるありさまを、うとき人に、わざとうちまねばむやは、近く見む人の聞きわき思ひ知るべからむに、語りもあはせべやと、うちも笑まれ、涙もさしぐみ、もそは、あかなきおほやけ腹立たしく、心ひとつに思ひあまることなど多かるを、何にかは聞かせむと思へば、うちそむかれて、人知れぬ思ひ出で笑ひもせられ、あはれともうちひとりごたるるに、『何ごとぞ』 など、あはつかにさし仰ぎゐたらむは、いかがはくちおしからぬ。
ただひたぶるに子めきて、やはらかならむ人を、とかくひきつくろひいぇは、などか見ざらむ。
心もとなくとも、なほし所あるここちすべし。
げにさし向かひて見むほどは、さてもらうたきかたに罪ゆるし見るべきを、立ち離れて、さるべきことをも言ひやり、をりふしにしいでむわざの、あだことにも、まめごとにも、わが心と思ひ得ることなく、深きいたりなからむは、いとくちをしく、たのもしげなき咎や、なほ苦しからむ。
常はすこしそばそばしく、心づなき人の、をりふしにつけていではえするやうもありかし」
など、隅 (クマ) なきもの言ひも、定めかねて、いたくうち嘆く。

(口語訳・瀬戸内 寂聴)

器量も綺麗で、年頃もうら若い女が、自分では少しの塵もつかぬようにと、立居振舞に気を配り、手紙を書いても、おっとりと言葉を選び、墨色も薄くぼんやりと書き、男にじれったく気を揉ませ、今度こそはっきりした返事を見たいものだと、なすすべもなく男を待たせ、ようやくかすかに声を聞けるまで親しくなっても、相変わらず息の下に声が消えてしまいそうに、言葉すくなに応答するというようなのが、なかなかうまく欠点を隠すものです。
それを、嫋々 (ジョウジョウ) とした女らしい女だと思い込み喜ぶと、そういう女はあまりにも愛情にひかれて溺れこむから、つきあっているうち、だんだんと色っぽい本性があらわれてきます。
これが女としては第一の欠点でしょうね。妻の仕事がたくさんある中でも、手抜きの出来ない一番大切な、夫の世話をするという面になると、むやみに情趣にこだわりすぎて、何でもない日常のちょっとしたことにも、歌を詠んでみたり、趣味に身を入れすぎるなど、なくもがなと思われます。
そうかといって、ただもう実直一方で、いつもばさばさ髪をうるさそうに耳にはさんで化粧もせず、なりふり構わぬ世話女房が、家事にかまけているのも、困りものです。
男は毎日、宮中へ出仕して、そこでの朋輩の動静や、善し悪しに関わらず、見分したことを、どうして気心の知れない他人にわざわざ喋る気になりましょうか。やはり身近な、生活を共にして、話を分かってくれる妻とこそ、話し合って慰みたいと思うものです。
ひとり笑いがこみあげてきたり、涙ぐんだりします。
また、世間の筋の通らないことに腹立たしかったり、自分の心の中だけにおさめきれないことが色々あるものの、この女はどうせ分かってくれるでもなしと思うと、つい横を向いてしまって、こっそり思い出し笑いが出たり、思わず 『ああ、ああ』 など、つい感動の独りごとが口をついて出たりします。
ようようそれを聞きつけて、 『え、何ですの』 などと、妻が間の抜けた表情をしてきょとんよ顔を見上げているというんじゃ、どんなにがっかりしますことか。
こうなりますと、ただひたすらあどけなく無邪気な、気立ての素直な女を、妻にして、何かと教えたり躾たりしていくのがよさそうです。 少し頼りなくても、そんな女は教育し甲斐があるというものでしょう。
しかしそれも、いつも顔をあわせて一緒に暮らしている間は、そのかわいらしさに免じて、つい、欠点など許してしまいましょうが、離れて暮らすような場合には、必要な用事をいってやっても何も出来ない。趣味的なことでも、実用的なむきのことでも、何かの折に片づけなければならないことに、自分ひとりでは、しっかりした配慮ができないのは、とても残念だし、女が頼りないという欠点は、やはり困ったことでしょう。
一方、普段は少々器量が無くて気にくわない女でも、何か事のある折に、思いがけず見事な働きをみせて、おやと目をみはらせるようなこともあるものです」
などと、女にかけては知らぬこともないという論説家も、女の善し悪しの結論を出しかねて、大きな溜息を洩らしています。

新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ