〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 
2008/03/06 (木) 帚 木 (五)

「もとの品、時世 (トキヨ) のおぼえうちあひ、やむごとなきあたりの、うちうちのもてなしけはひ後 (オク) れたらむは、さらにもいはず、何をしてかく生 (オ) ひいでけむと、いうかひなくおぼゆべし。
うちあひてすぐれたらむもことわり、これこそはさるべきこととおぼえて、めづらかなることと心もおどろくまじ。
なにがしが及ぶべきほどならねば、上 (カミ) が上 (カミ) はうちおきはべりぬ。さて世にありと人に知られず、さびしくあばれたらむ葎 (ムグラ) の門 (カド) に、思ひのはかに、らうたげならむ人の閉ぢられたらむこそ、限りなくめづらしくおぼえめ。
いかではた、かかりけむと、思ふより違へることなむ、あやしくも心とまるわざなる。
父の年老い、ものむつかしげにふとりすぎ、兄の顔憎げに、思ひやりことなることなく閨のうちに、いといたく思ひあがり、はかなくしいでたることわざも、ゆゑなからず見えたらむ、かたかどにても、いかが思ひのほかにをかしからざらむ。
すぐれて疵 (キズ) なきかたの選びにこそ及ばざらめ、さるかたにて捨てがたきものをば」
とて、式部を見やれば、わが妹どものよろしき聞こえあるを思ひてのたまふにや、と心得 (ウ) らむ、ものも言はず。
いでや、上の品と思ふにだにかたげなる世を、と君はおぼしべし。白き御衣 (ゾ) どものかよよかなるに、直衣 (ナオシ) ばかりを、しどげなく着なしたまひて、紐 (ヒモ) などもうち捨てて、添ひ臥 (フ) したまへる御火影 (ホカゲ) 、いとめでたく、女にて見たてまつらまほし。
この御ためには、上が上を選 (エ) りいでても、なほ飽くまじく見えたまふ。

(口語訳・瀬戸内 寂聴)

左馬の頭は、
「もともとの家柄と、今の世の声望がふたつとも揃った高貴な家に生まれながら、家庭の躾が悪く、態度や様子が劣っているような女は論外でして、いったいこれまでどんなふうに育ったのかと、情けない気持ちがすることでしょう。
また、家柄と声望がふたつながら揃っている家の娘が、立派に育っているとしましても、それは当然で珍しいことでもなく、人は今更驚きもしないでしょう。
わたしなどにはどうせわかりませんので、最高の上流のあたりのことは、はぶいておきます。
さてそこで、そんなところに人が住んでいようとは思われない、寂しい荒れはてた草深い家に、思いもよらぬ可憐な女がひっそりと閉じこもっているのなどこそ、非常に珍しいことではないでしょうか。
どうしてまあ、こんなところにこんな女がと、あまりにも意外なので、妖しく心が捕えられてしまいます。また年老いた父親が醜く肥りすぎ、兄もまた憎々しい顔つきで、これでは娘も大したこともなさそうだと想像される家の奥に、これはまた、たいそうに気位の高い女がいて、ちょっとした芸事にしても、さも深いたしなみがありそうに見えるのなどは、その芸がほんのわずかな才能であったとしても、その意外性から、思いのほかに興味をそそられることでしょう。何もかも備わっている欠点のない女を選ぶというなら、外れましょうが、これはこれとして、なかなか捨てがたいものでもありません」
と言って、藤式部の丞の方に目をやります。式部の丞は、自分の妹たちが、この頃世間で評判がいいので、あんなふうにあてこすりを言うのだろうと思ったのか、ものも言いません。
源氏の君は、さてさて上流の中にだって、すばらしい女なんてめったにいないものを、とでもお考えなのでしょうか。
白いやわらかいお召し物に、直衣 (ノウシ) だけ無造作に引きかけ、襟もとの紐なども結ばないまま、くつろいで脇息に寄り掛かったお姿の、灯影に浮んでいらっしゃるのが、それはもう限りもないお美しさです。
女の身になって拝見したらいっそう「うっとりするだろうと思われます。このお方のためになら、極上の階級の中から、最高の貴女をよりすぐっても、とてもふさわしいとはいえないでしょう。

新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ