〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 
2008/03/05 (水) 帚 木 (四)

「なりのぼれども、もとよりさるべき筋ならぬは、世人 (ヨヒト) の思へることも、さはいへどなほことなり。
また、もとはやむごとなき筋なれど、世に経るたつき少なく、時世 (トキヨ) にうつろひて、おぼへ衰へぬれば、心は心としてこと足らず、わびたることどもいでくるわざなめれば、とりどりにことわるて、中 (ナカ) の品にぞ置くべき。
受領と言ひて、人の国のことにかかづらひいとなみて、品定まりたるなかにも、またきざみきざみありて、中の品のけしうはあらぬ、選り出でつべきころほひなり。
なまなまの上達部よりも、非参議 (ヒサンギ) の四位 (シイ) どもの、世のおぼえくちおしからず、もとの根ざしいやしからぬ、やすらかに身をもてなしふるまひたる、いとかはらかなりや。
家のうちに足らぬことなどはた、なかめるままに、はぶかず、まばゆきまでもてかしづける女 (ムスメ) などの、おとしめがたく生ひいづるもあまたあるべし。
宮仕へに出で立ちて、思ひかけぬさいはひ、とりいづる例ども多かりし」
など言へば、
「すべて、にぎははしきによるべきなり」
とて、笑ひたまふを、
「異人 (コトビト) の言はむやうに、心得ずおほせらる」
と、中将憎む。

(口語訳・瀬戸内 寂聴)

左馬の頭は、
「いくら成り上がって出世しても、もともと上流の家柄の出でない者は、何と言っても世間の思わくだって、やはりちがいます。また本来は貴族の家柄であっても、世渡りの手づるが少なくなり、時勢に流されて零落し、昔の声望も衰えてしまうと、いくら心は昔のままに貴族的でも、生活はそれとうらはらに不如意で、いろいろ体裁の悪いことも出てきますので、成り上がり者も、落ちぶれ者も、判定すれば、どっちも中流ということになりますか。
地方の政治だけに関係している受領など、中流の階級とはっきり決まっている連中の中にも、またいくつもの階級がありましてね、そんなあたりからちょっといい女を掘り出すのに、今の御時世は便利ですよ。
なまじっかな上達部よりも、非参議の四位あたりの人で、世間の声望もまんざらでなく、もともとの素性も悪くないのが、安楽にゆったりと暮らしているのは、いかにもさっぱりしていいものです。
家の中の暮らしに何一つ不足のないのにまかせて、思いきり金をかけて、まばゆいほどに飾りたて、大切にされている娘などが、馬鹿に出来ないほど見事に成人しているのなんか少なくはないでしょう。
宮仕えをして、帝のお情けを受けたりして、思いもかけぬ幸運を引き当てるといった例も、そういう中流の女に多いようです」
まどと言うので、
「すると結局、万事財力次第ということになるわけだね」
と、源氏の君が笑ってからかわれるのを、
「あなたらしくもない。何とつまらないことをおっしゃる」
と、頭の中将は口惜しがります。

新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ