〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 
2008/03/04 (火) 帚 木 (二)

つれづれと降り暮らして、しめやかなる宵 (ヨイ) の雨に、殿上 (テンジョウ) にもおさおさ人少 (ヒトスク) なに、御宿直所 (トノイドコロ) も例よりはのどかなるここちするに、大殿油 (オオトナブラ) 近くて、書どもなど見たまふ。
近き御厨子 (ミズシ) なる、いろいろの紙なる文どもを引き出でて、中将わりなくゆかしがれば、
「さりぬべき、すこしは見せむ。かたはなるべきもこそ」
と、許したまはねば、
「そのうちとけて、かたはらいたしとおぼされむこそゆかしけれ。おしなべたるおほかたのは、数ならねど、程々につけて、書きかはしつつも見はべりなむ。おのがじし、うらめしきをりをり、待ち顔ならむ夕暮れなどのこそ、見所 (ミドコロ) はあらめ」
と怨 (エン) ずれば、やむごとなく、切に隠したまふべきなどは、かようにおほざうなる御厨子などに、うち置き散らしたまふべくもあらず、深くとりおきたまふべかめれば、二の町の心やすきなるべし、片端づつ見るに、
「よく、さまざまなるものどもこそはべりけれ」
とて、心あてに、それかかれかなど問ふなかに、言ひあつるもあり、もて離れたることをも思ひ寄せて疑ふも、をかしとおぼせど、言少なにて、とかくまぎらはしつつ、とり隠したまひつ。

(口語訳・瀬戸内 寂聴)

終日、しとしとと、所在なく雨が降りつづけたまま、しめやかな宵になりました。
宮中では殿上の間にも殆ど人影がなく、源氏の君のお部屋も、いつもよりはのどかな気分がしますので、觸台の灯りを近く引き寄せて書物など御覧になっていらっしゃいました。
その夜も御一緒だった頭の中将は、傍らの厨子の中にある、色さまざまの手紙を、たくさん引き出しては、しきりに読みたがっています。源氏の君は、
「それじゃ、さすつかえのないものを少し見せますよ。なかにはみっともないものもあるから」
と、おっしゃりながら、なかなか見せようとなさいませんので、頭の中将は、
「その打ちとけて書いた、あなたが具合が悪いと思われる手紙こそ拝見したいですね。ありふれた平凡な恋文などは、わたしのようなつまらぬ者でも、それ相応にやりとりして見ていますから。それぞれのお相手が、あなたの冷淡さを恨んでいる折々のとか、あなたの訪れを待ちかねている夕暮れに書いたものなどこそ、見る値打ちがあるのです」
と、恨みがましくせがむので、仕方なく出してお見せになります。けれども高貴なお方からの、絶対人には見せられない秘蔵のものなどは、こんなところに無造作に置いてあるはずもありません。どこかへ深くかくしていらしゃるにちがいないのですから、見せられたのは、あま、さしつかえのない二番手の気のおけないものばかりなのでしょう。
頭の中将は、片端からそれを拾い読みして、
「よくまあ、いろいろな手紙が集まっているものだ」
と言いながら、あて推量に、
「これはあの人ですね、こちらはあの方ですか」
などと聴くうちに、うまく言い当てるものもあれば、とんでもない見当外れな相手を想像して、疑ったりする手がももあって、源氏の君は内心おかしがっていらっしゃいますが、言葉少に、なにかといいまぎらせながら、手紙をみんな隠しておしまいになりました。

新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ