〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 
2008/02/29 (金) 帚 木 (一)

光源氏、名のみことことしう、言ひ消 (ケ) たれたまふ咎 (トガ) 多かるに、いとど、かかるすきごとどもを、末の世にも聞き伝へて、軽 (カロ) びたる名をや流さむと、忍びたまひけるかくろへごとをさへ、語り伝へけむ人のもの言ひさがなさよ。
さるは、いといたく世を憚り、まめだちたまひけるほど、なよびかにをかしきことはなくて、交野 (カタノ) の少将には笑はれたまひけむかし。

(口語訳・瀬戸内 寂聴)

光源氏、光源氏などともてはやされ、その名だけはいかにも仰々しく華やかですけれど、実はあれこれ、世間からそしりをお受けになるようなしくじりも、少なくはなかったようでした。
その上また、こうした色恋沙汰の数々を、後の世までも語り伝えられて、軽々しい浮き名を流されるのではないかと、ご本人としては、つとめて秘密にされていた内緒の情事まで、あばきたて、語り伝えた人がいたとは、何とまあ、口さがないことでしょう。
それでも源氏の君はずいぶん世間に気がねなさり、表向きは真面目らしく装っていられたので、それほそ艶っぽい面白いお話などはなかったのです。
あの物語の、好色で有名な交野 (カタノ) の少将などからみれば、一笑に付されてしまわれたことでしょう。

まだ中将などにものしたまひし時は、内裏にのみさぶらひようしたまひて、大殿にはたえだえまかでたまふ。
しのぶの乱れや、と、疑ひきこゆることもありしかど、さしもあだめき目馴れたる、うちつけのすきずきしさなどは、このましからぬ御本性にて、まれには、あながちに引き違へ心尽くしなることを、御心におぼしとどむる癖なむ、あやにくにて、さるまじき御ふるまひもうちまじりける。
(口語訳・瀬戸内 寂聴)

まだ官位も近衛の中将などでいらっしゃった頃は、宮中ばかりまめに出仕なさって、舅の左大臣家には、たまにしかお出かけになりません。
あちらでは、もしやほかに内緒でお好きな女でも出来たのではないかと、お疑いになることもありましたが、源氏の君はそんな手軽なありふれた出来心の情事などは、もともとお好みでない御性分なのです。
ただまれには、強いて苦労の種になるような恋を、ひたむきに思いつめられるという、生憎な癖がおありでした。その結果、不謹慎なお振舞いも時たま、ないとは言えませんでした。

なが雨晴れまなきころ、内裏の御物忌 (モノイミ) さし続きて、いとど長居 (ナガイ) さぶらひたまふを、大殿 (オオイトノ) には、おぼつかなくうらめしくおぼしたれど、よろづの御よそひ何くれとめづらしきさまに調 (テウ) じいでたまひつつ、御息子 (ムスコ) の君達 (キミタチ) 、ただこの御宿直所 (トノイドコロ) の宮仕へをつとめたまふ。
宮腹の中将は、なかに親しく馴れきこえたまひて、遊びたはぶれをも、人よりは心やすく、なれなれしくふるまひたり。
右の大臣 (オトド) のいたはりかしづきたまふ住処 (スミカ) は、この君もいともの憂くして、すきがましきあだ人 ( ビト) なり。
里にても、わがかたのしつらひまばゆくして、君の出で入りしたまふに、うちつれきこえたまひつつ、夜昼 (ヨルヒル) 、学問をも遊びをももろともにして、をさをさ立ちおくれず、いずくにてもまつはれきこえたまふほどに、おのづからかしこまりもえおかず、心のうちに思ふことをも隠しあへずなむ、むつれきこえたまひける。

(口語訳・瀬戸内 寂聴)

五月雨が長く晴れ間もない頃、宮中の御物忌みが引きつづいたのを口実に、源氏の君はいつにもまして、宮中に長逗留していらっしゃいました。
左大臣は、そんな源氏の君が待ち遠しいやら恨めしいやらで、気を揉みながらも、源氏の君のために、お衣裳や持ち物など、あれこれと新潮なさっては、何かにつけてお届になっていらっしゃいます。
また、御息子の若君たちも、源氏の君の宿直のお部屋に参上しては、何かとお仕えしています。中でも、左大臣と、北の方大宮との御嫡男の頭の中将は、源氏の君の一番の御親友でした。音楽やその他のお遊びにも、ほかの人々よりは心易く、馴れ馴れしく振舞っていらっしゃいます。
この頭の中将を四の姫君の婿君として、この上なく大切にもてなしていらっしゃる右大臣邸には、このお方もまた、気づまりでうっとうしいのか、あまり寄りつかれません。もともと多情多感な浮気者でいらっしゃるのです。
お里の左大臣邸の御自分の部屋を、美しくきらびやかに飾り立てて、源氏の君がこちらにお出入りの時はお伴して、夜昼となく、学問も音楽のお遊びも御一緒になさいます。そんな時も頭の中将は、何かと源氏の君の張り合って、結構ひけをとらず、どこへでも連れ立って行かれるのです。
そうした間に自然遠慮がなくなって、お互いの心の秘密も隠しきれなくなり、ますます親しいおつきあいになっています。

新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ