無  題 十二月廿日夜作 正月四日夜分韻 無  題
播磨洋作 蘇道記事

  だい
一別如胡越

再逢已無期

挙頭観宇宙

大道到所随

名月無古今

白日同華夷

高山与景行

仰行豈復疑

不忠不幸事

誰肯甘為之

一諾不可忽

流落何足辞

縦為一時負

報国尚堪為

胡越=胡は、中国北方の異民族(非漢族)の総称、越は、南方の異民族。そこから、
胡越で地を遠く離れて相い逢ううことのないことや、また全く無関係であることに用いる。
宇宙=宇はすべての空間をいい、宙はすべての時間をいう。天地四方と古今。
大道=正しい道。古今東西、万物に通ずる道であるから大という。
白日=かがやく太陽。
華夷=華は中国、夷は異民族で中国国外の地を意味する。ただし、ここでは日本と外国の意で用いていよう。
高山与景行 仰行豈復疑=高山を仰ぎ大道を行くのは疑う余地もない当然の行為であることをいう。
誰肯甘為之=肯は、ここでは敢と同じで、不本意なことを押しきってやること。甘は、平然と受け入れること。
一諾=ひとたび承諾する。
漢初の将軍季布が一度承諾してくれたならば千金を貰うよりも確かだという、いわゆる 「季父に一諾」を踏まえる。
この時、松蔭は宮部鼎蔵、江幡五郎、と意気投合して、ともに東北周遊に出ることを承諾してしまっていた。
流落=落ちぶれて他国に流れさすらうこと
負=背に同じで、背き誤つこと。ここでは松蔭が藩命に背いて出奔すること。

一別いちべつ えつごと
再逢さいほう すでする
こうべげて宇宙うちゅうれば
大道だいどう いたところしたが
名月めいげつ きん
白日はくじつ おなじうす
高山こうざん景行けいこう
仰行ぎょうこう うたがわんや
ちゅうこうこと
たれあえあまんじてこれさん
一諾いちだく ゆるがせにすからず
流落りゅうらく なんするにらん
たといちすとも
報国ほうこく すにえたり

※嘉永四年(1851) の作。二十二歳。
この年の十二月十四日、松陰は江戸桜田の長州藩邸から許可を得ないまま出奔し、翌年四月まで東北地方を周遊した。
ひとたびお別れをすれば、南北はるかに離れて住むようなもので、再びお目にかかる時はもはやありますまい。
ふりあおいで古今東西のことを考えてみれば、正しい道はどこにあっても存在すると思います。
空に輝く月は昔も今も変わりはありませんし、太陽は国内と国外の別なく照らしております。
高い山があれば人は仰ぎ見ますし、立派な道があれば人は歩いて行きます。仰ぎ見たり、歩いていったり、そうしないではいられぬのです。
やだ、このたびの行動は君には不忠、親には不幸となります。誰とてもそんなことが平気でできるはずはありません。
しかしながら、同志諸君との約束は軽々しく扱うことは出来ません。出奔のあげくに流浪の身となったとしても、それは覚悟の上であります。
たとえ一時的に国法に違背することになっても、やがて国に報いることができるに違いないと思います。
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じゅうがつ廿はつよるさく
書剣飄然滞天涯

志業未遂歳空加

一身百感向誰説

枉借七字発浩歌

嗟吾天賦原劣弱

闕如雄才与大略

慷慨志気雖空存

読書未得渉浩博

文字章句措不精

経済実用亦無成

舎魚遂併熊掌舎

廿年失策愧此生

書剣=胡刀を佩び書物を持って、というのは旅を続けている松蔭の実際の姿であるとともに、古来中国では書と剣とは士人の携帯するものであった。
飄然=ふらりとやって来るさま。
天涯=天のはて、遥かに遠い土地。郷里を遠く離れて水戸に来ていることをいう。
歳空加=あと十日で正月を迎えることになるから、こう言う。
百感=さまざまな思い。
枉=憂愁を解くには何の役にもたたぬが、といった意味合い。
七字=一句が七字でできている七言の詩
浩歌=大きな声で歌を歌う事。 嗟=ああ、と嘆くことば。
天賦=天から生まれつき授かっている才能。 賦は、賦与されること。

劣弱=能力才知などが劣ること。
闕如=欠けていること。
雄才与大略=人並みすぐれた才能と大きな謀りごとをする力だが、実は雄大な才略を分けていったもの。
慷慨=悲しみ嘆く意味もあるが、ここは意気盛んなことであろう。
渉浩博=読書の範囲がきわめて広いこと。博学。
文字章句=文字は、書物に書かれていること。章句は、中国古典の注釈の一種。
経済=経世済民。世を治め民を救うことで、政治といってよい。
舎魚遂併熊掌舎=うまい魚も、よりうまい熊掌も、ともに捨ててしまった。熊掌は中国料理の最高のご馳走の一つとされる。
『孟子』 告子篇に 「魚は我が欲する所なり、熊掌も亦た我が欲する所なり」 とあって、魚もほしいが熊掌もほしい、しかし両者ともには得られぬのならば熊掌がほしい、との譬えを引いて、生命も道義も大切だが二者択一ならば道義を取る、とある。ここは、文字章句の学問も、より切実な経済実用の学問も、どちらも身についていないことをいう。
廿年=廿は、二十の意。松蔭は、あと十日で二十三歳となる。そこで概数をあげて二十年の生涯といった。

書剣しょけん 飄然ひょうぜんとして天涯てんがいとどま
ぎょういまげざるに とし むなしくくわわる
一身いっしん 百感ひゃくかん たれかってかかん
むなしくしちりてこうはつ
ああ われ てん劣弱れつじゃく
闕如けつじょたり 雄才ゆうさい大略たいりゃく
慷慨こうがい むなしくそんすといえど
読書未どくしょいま浩博こうはくわたるを
もんしょうきてせいならず
経済実用けいざいじつよう
うおて つい熊掌ゆうしょうあわせて
廿年じゅうねん さくしつしてせい

※嘉永四年(1851) 十二月の作。二十二歳。
この年の十二月十四日に江戸を出発して東北地方周遊の旅に出た松蔭が、まず水戸へ立ち寄って作った詩。
書物と剣とを携え、遥かこの地にまでふらふらと旅をしてきて、志したことは何もできないまま空しく歳ばかり加えることとなった。
この身の千々に乱れる思いを誰に語ったらよいのか。むなしいこととはいえ、せめて七言の詩を作って大声で歌おう。
ああ、私はもともと愚かに生まれついていて、すぐれた才能も偉大な知略もない。
意気だけは高らかでいるものの、読み終えた書物は高が知れている。
古典の容易やその解釈となると、投げ出してしまっていて精細な知識はないし、かといって世を治め民を正しく導くような、実用の学にも暗い。
ちょうど、うまい魚は捨ててしまって、ご馳走である熊の掌もいっしょうに捨ててしまったようなものだ。この二十年というもの、無策のままうち過ぎてきた生涯であることが恥ずかしい。
家有父兄郷師友

期我甚重吾空負

送我之言警我書

三復忸怩吾顔厚

今年之日復将除

吾心之感竟如何

中宵思之眠那得

剔燈且観太史書

君不見先主肉脾悲歳月

三分功業永不没

丈夫存志豈空死

百年勿教壮心歇

送我之言警我書=送別にあたって、父兄師友が私を戒めてくれた言葉や文章。
三復=何度もくり返して文章を読み、言葉を思いおこす。
忸怩吾顔厚=期待に添えぬままにあつかましく生きている自分を、心に恥ずかしいと思う。
竟如何=結局のところ、どうすればよいのか。
中宵=真夜中。
眠那得=眠ることがどうしてできよう。
剔燈=燈火の芯の燃えかすを切って明るくする。
太史書= 太史は、太史公の官にあった司馬遷のことで、太史書は 『史記』 の異称であるが、次句に出てくる三国時代の蜀の劉備のことは前漢に書かれた 『史記』 に見えるはずがなく、ここでは広く歴史書の意味で用いている。
先主肉脾悲歳月=先主は三国時代の蜀の初代天子となる劉備。肉脾は、股の骨の部分に肉がつくこと。劉備は馬に乗って戦場に出なくなってから、股の裏に肉がついてしまった。功業を立てることのないまま、むなしく歳月が過ぎ去って老いてゆくのかと悲しんで涙を流したという。いわゆる 「脾肉の嘆」 である。
三分=天下三分の計。天下を三つに分けてその一である蜀に拠って、魏と呉とに対抗しようとする策。諸葛孔明が劉備に献じたという。
丈夫=一人前の男。
百年=人の一生。
教=使と同じで、使役の言い方に用いる。
壮心=意気盛んな心
歇=止める。消してしまう。

いえけいり きょうゆう
われすることはなはおもきも 吾空われむなしくそむ
われおくるのげん われいましむるのしょ
三復さんぷくして顔厚がんこうじくたり
今年こんねん またまさらんとす
こころおもい ついかん
中宵ちゅうしょう これおもえば ねむなん
とうり る たいしょ
きみずや 先主せんしゅにく 歳月さいげつかなしむも
三分さんぶん功業こうぎょう ながぼつせざるを
じょう こころざしそんす むなしくせんや
百年ひゃくねん 壮心そうしんをしてましむるなか

家には父も兄もおり、郷里には先生も友人もいる。彼らみな、私に大きな期待をかけていたが、私はそれに応えることができなかった。
私を送り出すときの言葉、そして私を戒めてくれた手紙、それらを再三にわたって思い返し、くりかえして読めば、自分がなんと恥知らずであろうかと後ろめたい。
本年もやがて過ぎ去ろうとしている。わが心の嘆きをどうすればよいのか。
深夜にそれを思うと、安らかに眠れようはずもない。起きだして燈芯を切り、しばらく史書を読み始めてみる。
見たまえ、劉備は歳月が無為に去ってゆくなかで 脾肉の嘆を発したが、やがて天下を三分して蜀国を建てた功業は永遠に消えることはない。
男たるもの、志がある以上、どうして空しく死ねようぞ。この生涯、雄々しい心を失ってはならぬのだ。

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正 月しょうがつ よつ よる いん か つ
足跡遍天下

肩上軽一嚢

書画数十葉

詩文幾百章

詳郡国形勢

写忠孝心腸

可以資膺懲

可以維綱常

男児平生志

蓬桑報四方

誰知汗漫遊

家国豈暫忘

一嚢=嚢はふくろ。旅に必要な品々を入れたもの。
詳郡国形勢=松蔭は兵学の師範家に生まれ、各地を見て歩くのは、兵学でいう地誌兵要を調査することに当る。
心腸=心。まごころ。
膺懲=征伐して懲らしめる。
綱常=三綱 (君臣・父子・夫婦の道) と五常 (仁・義・礼・知・信) のことで、人間の基本的な倫理道徳。
平生=日頃からの。かねてよりの。
蓬桑=『礼記』 射義に 「男子生まるれば、桑弧と蓬矢六、以て天地四方を射る」 とあって、中国古代に男の子が誕生すると、桑の弧と蓬の矢を天地四方に射放つ儀式を行った。男児は天下の四方に雄飛して活躍すべきだとの意味からである。
報=平生の志に報いる。志をはたす。
汗漫遊=汗漫は、とりとめのないさまをいう畳韻の語。ここでは、あてもなく旅を続けていること。
家国=国家。祖国。

足跡そくせき てんあま
肩上けんじょう 一嚢軽いちのうかろ
しょ 数十葉すうじゅうよう
ぶん 幾百章いくひゃくしょう
郡国ぐんこく形勢けいせいつまびらかにし
忠孝ちゅうこう心腸しんちょううつ
もつ膺懲ようちょう
綱常こうじょうつな
だん平生へいぜいこころざし
蓬桑ほうそう ほうむくいん
だれる 汗漫かんまんゆう
こくしばらくもわすれんや


※嘉永五年(1852) 正月の作。二十三歳。
東北周遊の途中、古奈地 (茨城県鹿島郡旭村子生) にて作った詩。
分韻とは、詩会に参加したものが、その場でそれぞれ何の韻で詩を作るかを種々の方法で決ることで、この夜、おそらく旅に同行している宮部鼎蔵、江幡五郎と詩を作ることになり、松蔭には下平声七陽の韻が当ったわけである。

天下いたるところに足跡をしるし、肩には軽やかに袋がひとつ。
その中には、書画が数十枚と詩文が数百篇。
そこに天下各地の形勢を詳細に記録し、忠義孝行についての思いが書いてある。
有事の際には悪人を征伐するのにも役立つだろうし、平時に人の道を維持するにも役立つであろう。
ひとりの男児として、日頃から天下に雄飛して志を遂げたいと考えてきた。
行方も定めず放浪の旅を続けてはいるが、しばしの間も国事を忘れてはいないことを、誰か理解していてくれようか。

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  だい
海楼把酒対長風

顔紅耳熱酔眠濃

忽見雲濤万里外

巨鼇蔽海来艨艟

我提吾軍来陣此

貔貅百万髪上衝

夢断酒解燈亦滅

濤声撼枕夜鼕鼕

※嘉永五年(1852) 二十三歳。
前年十二月から本年四月まで、東北各地を周遊する旅に出かけ、その途中、磯原海岸に宿泊して夷狄の襲来を迎え撃つありさまを夢に見た詩。
海楼かいろう さけりて長風ちょうふうたい
かおあかく みみねつして 酔眠濃すいみんこまやかなり
たちまる 雲濤うんとう ばんそと
巨鼇きょごう うみおおいて 艨艟もうどう たる
われ ぐんひっさげ たりてここじん
きゅう百万ひゃくまん はつ 上衝じょうしょう
ゆめさけめてとうまためつ
濤声とうせい まくらゆるがせて よる 鼕鼕とうとう

海楼=海辺のたかどの。この夜、泊まっている宿屋をいう。
長風=遠くからふきわたる風。
顔紅耳熱=酔いのまわった様子をいう。
雲濤=はるかかなたに雲と一体となって見える水波。
巨鼇=海中で仙山を支えているという巨大な海亀
来艨艟=艨艟は戦艦。敵艦にぶつかって突き破るために牛皮で外面をおおった細長い軍艦。艨衝ともいう。
貔貅=貔も貅も、虎や豹のなかまの猛獣。そこから勇猛な軍隊をいうようになった。
髪上衝=憤激して髪がさかだつこと。
酒解=酒の酔いが醒めること。
撼枕=闇の中での波のひびきが、寝ている枕を揺り動かすように感ぜられる。
鼕鼕=ドーンドーンと太鼓を打ち鳴らす音をいう擬声語で、ここでは波涛のひびきに転用している。

海辺の高楼で酒を手に、遥かに吹き寄せる風に向かい合っていると、顔はほてり耳は熱く、やがて酔いつぶれてぐっすりと眠り込んでしまった。
すると、うなばら遠き万里のはてから、さながら巨大な海亀が海面を覆いつくすように、異国の軍艦が押し寄せてくる夢を見た。
私は、わが軍をひきつれて此の地に陣を構えた。わが百万の勇兵は、意気ごんで怒髪冠を衝く勢いである。
夢さめて酒気も失せたとき、灯火もまた燃え尽きていた。闇の中に波の音が、一晩中、枕を揺り動かすようにドーンドーンとひびいてくる。

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はり なださく
無風無浪海面平

阿山淡山淡水煙

楫師説我是播洋

陰風濁浪動覆船

吾曾両度過此洋

風浪如意船安便

事有天幸何可常

狃安侮険毎覆顛

請看万事自古皆如此

所以包桑之戒存韋編

阿山=阿波 (徳島県) の山。
淡山=淡路 (兵庫県淡路島) の山。
水煙=海にかかる靄や霧。
楫師=船頭。 楫は船の舵。
播洋=播磨灘。
陰風=冬の冷たい北風。
動=とかく。よくそうした事が生ずる。
両度=これより以前。嘉永四年 (1851) 三月に藩主の東上に遊学生として加わった時と、嘉永五年 (1852) の帰藩の際と、二度にわたって播磨灘を渡っている。
如意=願ったとおりの穏やかな海であったことをいう。
安便=航行の安らかで順調なこと。
天幸=天の下した幸い。運がよいこと。
狃安=穏やかな海になれきって。
包桑之戒=包桑は、桑の木の根元。そこに縛りつけておくと物を失う恐れがないことから、物事の根本をしかりと固める意味に用いる。
韋編=書物。 韋は、なめし皮。古代の書物は細長い木簡や竹簡をなめし皮で綴じてあった。
『史記』 孔子世家に、孔子が 『易経』 をくりかえし読んで綴じひもが切れたことを 「韋編三絶」 といっており、ここでも 『易経』 をさす。

かぜなくなみなく海面かいめんたいら かにして
さん 淡山たんざん 水煙淡すいえんあわ
ゆう われく よう
陰風いんぷう  濁浪だくろう ややもすればふねくつがすと
吾曾われかつりようよう
風浪ふうろう ごと く ふね 安便あんべんなりき
こと天幸てんこう る つねとすけん
やす きに れてけんあなど れば つね覆顛ふくてん
よ ばんいにしかくごと
包桑ほうそういましめめ  へんそんする所以ゆえんなり
※嘉永六年(1853) 二月の作。二十四歳。
この年一月、諸国遊学の許可が藩庁より下り、一月二十六日に萩を出発してまず大阪に向かい、大和、伊勢から中山道を経て、五月二十四日に江戸へ入った。

風もなく波もなく、海面は平らにひろがり、阿波と淡路の山々が、ぼんやりと靄のなかに浮かんでいる。
船頭が私に言う、 「ここが播磨灘。北風と荒波で、よく船がひっくり返ります」。
私は以前、二度にわたってこの海を渡った。その時は風も波もさわりなく、おだやかな船旅であった。
その時は幸いにも運がよかったということで、いつでもそうなるとは限らぬ。無事を決め込んで海の危険を甘く見ると、きっと転覆の憂き目に遭うことだろう。
見たまえ、万事がみな昔からそうなのだ。しっかりと根本を把握しておけとの戒めが古典にあるのは、そのためなのだ。

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どう
蘇道梅天不耐涼

山郷風物異他郷

新秧插後麦猶緑

方是家々蚕事忙

※嘉永六年(1853) 五月の作。二十四歳。
蘇道は、木曽街道。この年、諸国遊学ということで木曽路をまわって江戸に入った。五月二十三日、通り過ぎてきた木曽の情景を想起して蕨 (埼玉県蕨市蕨) の宿で作った詩。
どう梅天ばいてん りょうえず
山郷さんきょう風物ふうぶつ きょうことなる
新秧しんおうそう むぎみどり
まされ 家々いえいえ さんいそがわし

梅天=梅雨のころの空。 新秧=新しい稲の苗で、田植えにするもの。
插=さしこむ。 插秧で田植えの意。 方是=ちょうど今。 蚕事=蚕の世話

木曽街道の梅雨時は、涼しすぎて耐えがたいほどである。山中の村々の風景も、外の土地とは異なっている。
田植えのすんだ後でも麦はまだ青々としていて、しかもどの家もちょうど蚕の世話で忙しい時のようだ。

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