『 殉 情 詩 集 』
水 邊 月 夜 の 歌
せつなき戀をするゆゑに
月かげさむく身にぞ泌む。
もののあはれを知るゆゑに
水のひかりぞなげかける。
身をうたかたとおもふとも
うたかたならじわが思ひ。
げにいやしかるわれながら
身も靈もをののきふるひ
うれいひは清し、君ゆゑに。

 

或 る と き ひ と に 與 へ て
片こひの身にしあらねど
わが得しはただこころ妻
こころ妻こころにいだき
いねがてのわが冬の夜ぞ。
うつつよしはかなしうつつ
ゆめよりもおそろしき夢。
こころ妻ひとにだかせ
身も靈もをののきふるひ
冬の夜のわがひとり寝ぞ 。

後 の 日 に
つれなかりせばなかなかに
そらにわすれて過ぎなまし
そもいくそたびしぼりけむ
たもとせつなしかのたもと

せつなさわれにつもるとも
沾ぢてはかわくものなれば
昨日のたもとにこと問はむ
ぬるるやいかにけふもなほ

ま た 或 る と き ひ と に 與 へ て
しんじつふかき戀ならば
わかれのこころな忘れそ、
おつるなみだはただ秘めよ、
ほのかなるこそ吐息なれ、
數ならぬ身といふなかれ、
ひるはひるゆゑわするとも
ねざめの夜半におもへかし
琴 う た
かくまでふかき戀慕とは
わが身ながらに知らざりき、
日をふるままにいやまさる
みれんを何にかよはせむ。
空ふくかぜにつてばやと
ふみ書きみれどかひなしや、
むかしのうたをさながらに
よしなき野べにおつるとぞ。

 

こ こ ろ 通 は ざ る 日 に
こころを人にさらせども
げにもとなげく人ぞなき、
こころのいたで血を噴けど
あなやと叫ぶ人ぞなき。
すまじきものは戀にして
苦しきものぞこころなる、
こころはいとし、すべもなし、
手にはとられず目には見られず。
よ き ひ と よ
よきひとよ、はかなからずや
うつくしきなれが乳ぶさも
いとあまきそのくちびるも
手をとりて泣けるちかひも
わがけふのかかるなげきも
うつり香の明日はきえつつ
めぐりあふ後さへ知らず
よきひとよ、地上のものは
切なくもはかなからずや。

海 邊 の 戀
こぼれ松葉をかきあつめ
をとめのごとき君なりき、
こぼれ松葉を火にはなち
わらべのごときわれなりき。

わらべとをとめよりそひぬ
ただたまゆらの火をかこみ、
うれしくふたり手をとりぬ、
かひなきことをただ夢み、

入り日のなかに立つけぶり
ありやなしやとただほのか、
海べのこひのはかなさは
こぼれ松葉の火なりけむ


斷 章
さまよひくれば秋ぐさの
一つのこりて咲きにけり、
おもかげ見えてなつかしく
手折ればくるし、花ちりぬ。
な み だ
あるはのきばゆたつけぶり、
あるは樋をゆくたにのみず、
あるはわが目にわくなみだ。
こををさだめとさとるゆゑ、
ぜひなきものと知るらめど、
とめてとまらぬものなれば、
せつなやあはれほそぼそと、
ひとすぢにこそながるらし

 

感 傷 肖 像
摘めといふから
ばらをつんでわたしたら、
無心でそれをめちゃめちゃに
もぎくだいている。
それで、おこったら
おどろいた目を見ひらいて、
そのこなごなの花びらを
そっと私の手にのせた。
その目は涙ぐんで笑ひ
その口は笑って頬は泣いてゐる。
表情の戸まよひした
このモナリザはまるで小娘だ。

柔かきかかる日の光に中に
いまひとたび、あはれ、いまひとたび
ほのかにも洩らしたまひね、
われを戀ふと。
(北原 白秋 「斷 草 」 二十五)
感 傷 風 景
あなたとわたしは向ひあって腰をかけ、
あなたはまぶしげに西の方の山をのぞみ、
わたしはうっとりと東の方の海をうかがひ、
然しふたりはにこにこして同じ思ひを樂しむ。
とありし日のとある家の明るいバルコン。
間にも知らない家の主人にはよき風景をほめ、
ふたりはちらちらとお互の目のなかを樂しむ。
戀人の目よそれはまあ何といふ美しい宇宙だろう。
全くあなたのその目ほどの眺めも花もどこにあろう・・・
おお、思ひ出すまい。ふたりは庭のコスモスより弱く、
幸福は卓上につと消えた鳥かげよりも淡く儚く、
嘆きは永く心に建てられた。あの新築の山荘のやうに。

「 殉 情 詩 集 自 序 」 ヨ リ
世に強記にして好事の士もあるものなり。
面榮ゆくもわがかの試作を今更に語り出でて、時にはこれを編みて冊子とせよなぞ勧むる友さへあり。されど誰かは、未熟にして早く地に堕ちたる果実を拾ひて客の爲に饗宴の卓上に盛らんや。
乃ち篤くこれを謝するのみなりき。この機にのぞみてわれは改めてかかる人々の乞うはん。わが舊き詩歌は悉くこれを忘れたまへ。少しく言葉を弄ばんか、今日のものとても同じく然したまへ。
然からば今この集を敢えて世に問ふの故は如何。曰く米鹽に代へんとす。曰く春服を求めんとす。
否、われ口籠もることなくして言ふべし、聽き給へ、われ今日人生の途なかばにして愛戀の小暗き森かげに至り、わが思ひは轉落莫たり。
わが胸はおほわの下に碎かれたる薔薇の如く呻く。心中の事、眼中の涙、意中の人。兒女の情われに極まりては偶成詩歌乃ちなた多少あり。
げに事に依りてわが身には切なくもあるかな、わがこの歌。しかれども既に世に問はん心なければ、わが息吹なる調べはいつしか世の好尚と相去れるをいかんせん。われは古風なる笛をとり出でていま路のべに來り哀歌す。
節古びて心をさなくただに笑止なるわが笛の音に慌しき行路のひといかで泣くべしやは。
たとひわが目には水流るるとも、しらず、幾人かありて之に耳を假し、しばしそが歩みを停むるやいかに。
嗟吁、わが嗚咽は洩れて人の爲に聞かれぬ。われは情痴の徒と呼ばるるとも今はた是非なし。