〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

楊貴妃は覇水を見た (十)

馬嵬駅は緑に囲まれている。
仏堂の庭も、濃厚な草いきれがする。ものみな、生き、そして育とうとしていた。
まが若い梨に木の枝に、真っ赤な絹の帯が吊るされている。
そこが、楊貴妃玉環の死場所とと定められたのだ。
木下に、小さな椅子があり、白装束の玉環が坐っていた。
「お手をお執りいたしましょうか?」 と高力士は言った。
仏堂の庭には、他に誰も居ない。
玉環は首を横に振った。
いま坐っている、この朱塗りの小さな椅子が、階段を登りつめた最上段なのだ。
── 彼女はそう感じた。どこまでも、いつまでものぼれる、尽きることのない階段と思っていたが、やはり終わりがあった。
「夢のようでございました」 低い声で、彼女は言った。ひとり言のように。
「私はこれまで、じつは自分と言うものがなかったような気がします。ずいぶん贅沢をし、言いたい事も申して参りました。・・・・でも、ほんとうは、何かもっと大きな力に、動かされたいたように思えてなりません。・・・・・その力は、なんでしょうか?仏さまだったのかしら?」
玉環は赤い帯を見つめていた。
不思議に涙は出ない。
ここに、こうして立っているのが、生まれたときからの定めなのだ。── 何の抵抗もなくそう思うことが出来た。
「さようでございます。に仏の大きな力に、貴妃さまは動かされておいでだったのです」 と高力士は答えた。
玉環はやっと赤い絹から、目を戻して、高力士に言った。
「では、父母のもとに参りとう存じます」
死ねば本当の父、本当の母に会えるかもしれない、と思ったのである。
「地下のお父上には、高力士は出来だけの事はしたと、そうお伝えくださいませ」
「我が父に?」
「お父上の楊玄? (ヨウエンゲン) どのと、私めは若いころの知り合いでございました。お父上と私めは、覇水のほとりで、約束したことがあります。・・・・・お父上はまるで狂ったように、立身出世を望んでおられました。私めは、失礼ながらお父上の才幹では、それは無理でしょうと申し上げました。そのとき、貴妃さまはまだあどけない童女で、はじめて御覧になる大きな河に、何もかも忘れて見入っておられました。・・・・お美しい、と私めは感じ入り、突然・・・・そう、自分でも考えていなかったことが、口をついて出たのでございます」
「どのようなことでしょうか?」
「お父上に、申し上げました。あなたの器量では無理な話。望みがあるとすれば、娘御のご出世によって、そのお相伴で立身することでしょう、と。・・・・・お父上は、それで乗り気になられました」
「ああ、ではあのとき・・・・・」
そうだ、あの覇水を見たときから、すべてが変ったのだ。楊家の人たちが、何となく遠慮するようになり、貧乏なはずなのに音楽教師がついたりした。それは、高力士が陰にいて、指図をしたのである。皇帝の気に入るような女に育てるために。
玉環は、死ぬ直前に、自分が大きく変わるように感じた。急速に戻って行く。本当の自分に、もとの童女の自分に。
寿王の後宮に入ったのも、高力士が工作してのことであろう。この宦官は、ゆくゆくは玉環を皇太子妃、皇后にして、次代に自分の権力をつなぐよすがにしようとしたのに相違ない。
だが、玉環はあまりにも皇帝好みの女になりすぎたため、皇帝の目にとまってしまったのである。
「いえ、み仏の力でございます」
高力士は、玉環の心の呟きを察したのか、それを打ち消すように、その場にそぐわぬ力強い声で言った。
「私の案じますのは」 と、玉環は言った。
「陛下のことでございます。わたしのかわりにみ心をおやすめ申し上げる女性を、力士の力で・・・・」
玉環なしには、皇帝は一日として心が安まらなかった。これからも、玉環のような女を、皇帝は必要とするだろう。自惚れでなく、彼女はそう思った。
そのような女を探すのは、玉環をつくりあげた高力士の仕事であろう。彼女はそのことを託そうとしたのである。
「かしこまりました」
みなまで言わせずに、高力士は頭を下げた。
「力士、そなた、ひょとすると、すでに私のかわりの者を、用意しておるのではあるまいか?」
「御意」
高力士は、はっきりとそう答えた。
「その者の名を当てようか?」
「おわかりになりますまい」
「梅妃のところにいた十八娘であろう?」
「はっ」
ずっと無表情であった高力士の顔が、このときかすかに動き、目に見えて紅みがさした。まさかと思っていたのに、言い当てられたのである。
言い当てた玉環も、自分で驚いている。
たったいま口を開く瞬間まで、十八娘のことなど念頭になかったのだ。
その少女を宮廷で何度か見かけたことがある。だが、べつに深く心にとめることはなかった。
それが、どうしてこんな時、突然脳裡に浮んできたのであろうか?。
男性であったことのなかった男が、心をこめてつくった理想の女性。── 玉環はそれが自分であり、その自分だけが、同じ女性になりうる女に気づくのであろう、と思った。
「安心しました」 と玉環は言った。
心からそう言ったのである。もう何も思い残すことはなかった。第二の自分、第三の自分が、必ずつくられるだろう。・・・・
いまは、楽しいのである。
この世では恵まれなかった、本当の父、本当の母に会える。
「会った時、最初になんと声をかけようか?」
玉環は朱塗りの椅子のうえにあがるとき、そんなことを考えていた。
微笑が彼女の顔に浮んでいた。
赤い絹の帯の輪を、両手に掴む様子は、いそいそとしていたといってよい。
高力士は草の上に跪いて、捧げるとうにしてその椅子をはずした。
白い裳が、椅子のとりのぞかれたところに、ふわりと垂れて、高力士の額をさっと撫でた。
梨の枝はしなった。
玉環は霞んでゆく視野に、神鶏童賈昌の姿を見たような気がした。
「最後の幻覚かしら?」
そう思ったのも、束の間であった。
楊貴妃玉環、このとき三十八歳であった。

神鶏童賈昌も、竜武軍の一将校として、蒙塵行に従って長安を出た。だが途中で乗馬が道端の孔に中に脚を突っ込み、骨折したので、かわりの馬をみつけるのに、少し手間取ったのである。
いまやっと、馬嵬駅で一行に追いつき、本営に急ぐところだった。
梨の枝の玉環は、その姿を見たのだ。しかし、彼の方は、馬に鞭をくれ、前方にある本営の建物以外は目に入らなかった。
玉環の遺骸は、駅館の庭に、繍衾 (シュウギン) に覆われて安置された。
大将軍陳玄礼は、躓いて跪いてそれを確認し、全軍にそれを告げた。
兵はようやく進発した。
皇帝の一行が、馬嵬駅を発つとき、貴妃の好物の?枝 (レイシ) を運ぶ南方からの駅使が、ちょうど到着したという。
?枝 (レイシ) のふくよかな、透きとおった果肉は、玄宗皇帝に玉環を偲ばせずにはおかなかった。

玄宗の禅譲を受けた皇太子が即位し、翌年十月に国都奪回に成功した。安禄山は息子の安慶緒 (アンケイチョ) に殺されていたのである。
玄宗皇帝は、譲位後七年にして死んだ。
高力士は、玄宗あっての彼であった。新しく擡位 (タイイ) した宦官勢力に圧迫され、讒言を受けて湖南に流された。
宝応元年 (762) 、高力士は恩赦に遭い、長安に帰る途中、玄宗太上皇帝の死の知らせを聞き、悲嘆のあまり血を吐いて死んだ。
十八娘は高力士に引き取られ、ひそかに 『理想の女性』 の教育を受けていたが、ある日、とつぜん姿を消した。
自分の運命に気づいたのかもしれない。
彼女はおだやかな一生を故郷の福建晋安で送り、そこの報徳院という尼寺で死んだといわれる。
彼女の郷里の人たちは、上質の?枝 (レイシ) を、 『十八娘』 と名づけた。これは銘柄の名として、いまも生きている。
神鶏童は安禄山の乱後、どんなに勧められても、出仕しようとしなかった。
この賈昌は、息子や孫が大富豪になったが、一人で放浪して、けっして家には寄りつかなかった。自分を罰しているのに似た姿だった。
元和五年 (810) に、文人の陳鴻 (チンコウ) が会った時、賈昌は九十八歳で、まだ矍鑠としていたという。
この神鶏童の話は、太平広記のなかに 『東城老父伝』 という題で収録されている。

『胡蝶の陣』 著:陳舜臣 毎日新聞社発行 ヨリ