〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜

なぜ、楊貴妃なのか (二)

楊貴妃が玄宗の寵愛を受けたのは、あとで述べるように、玄宗晩年のことであり、従って、張萱や周ムによって描かれたのは、八世紀なかばであるといえる。つまり、わずか半世紀の間に、美女の条件はほっそりとした体つきから、太肉のグラマーへと変化したのであった。そして、事実、そのころ以降に描かれた美女たちは、楊貴妃を理想としたにちがいないしもぶくれのグラマーとして表現されている。わが高松塚の古墳の壁画に見る女たちも、そのような盛唐の美女たちの末裔なのであった。
さてここまでくると、李白が楊貴妃を牡丹にたとえたのも、過剰な詩的レトリックとはいいがたくなる。唐人は、牡丹をあまたある花の王者と考え、これを花王と称した。これに次するものは芍薬 (シャクヤク) である。いずれも大振りな派手な花であることに注目されたい。
唐亡び、五代を経て宋となってのその最盛期の十一世紀。思想家として名高い周敦頤 (シュウトンイ) は、その 「愛蓮説 (アイレンセツ) 」 でこう書いた。

水陸草木すいりくそうもく の花、愛すべきものはなはおお し。
しん陶淵明とうえんめいひと り菊を愛す。
とう よりこのかた、 じん はなはたん を愛す。
ひと り、はす でい より でて まらず、清漣せいれんあら われてよう ならず、中は通じ外はなお く、つる あらず枝あらず、かおり りは遠くしてますます清らけく、亭々ていてい としてきよ ち、遠くより観るべくしてもてあそ ぶべからざるを愛す。
おもえ らく、菊は華の隠逸いんいつ なるものなり、牡丹は華のふう なるものなり、蓮は華の君子なるものなり、と。
ああ 、菊を れ愛するは、陶 (陶淵明)のちることすくな し。
蓮を れ愛するは、予に同じきもの何人なんびと ぞ。
牡丹を れ愛するは、むべ なるかなおお きこと。

現代視点・中国の群像 楊貴妃・安禄山 旺文社発行 執筆者:中野 美代子 ヨリ