そのころ ── 家康は笠置山の砦
にあって、もう小半刻も腕を組んで動かなかった。 鳥居元忠と、榊原康政とが床几の後ろにあぐらうぃかいてときどき何か話しかけたが、そのつど 「うん」 とか
「いいや」 というだけで一向に話に乗ってこない。 したがって二人もいつか口をつぐんで月の下に据えられたような小半刻であった。 ここから見ると、野田城を取り囲んだ武田方の陣営は、いずれも月光に淡く煙って霞んでいる。その霞の中の敵が、いま家康に、一つの決断を迫っているのである。 旗本の大久保忠世が、 「──
野田の城も今日限り・・・・」 そう告げて来た時に、家康は、よく頑張ったと思いながら、 「──意気地なしめがッ」 と強く言った。 野田城の陥落した時は、巨大な武田軍の進撃しだすときである。 酒井左衛門忠次はすでに吉田城へおもむかせ、石川数正は岡崎城のわが子の三郎信康のもとへつかわした。 が、彼自身ですらどうにもならなかった信玄の大軍を前にしては、吉田も岡崎も洪水の谷にかかった丸木橋にひとしい。 諸般の情勢から、待ちに待った織田の援兵は来ないとわかったし、唯一の希望をつないでいた上杉謙信の援兵も、今はすでに間に合うべくもない。 といっていたずらに動揺するほど、彼もすでに幼くはなかった。 彼の判断では、野田城へ留守居に残る者は山県三郎兵衛昌景。これが必ず家康の本隊をここに釘づけにしようとするに違いない。そして家康が信玄のあとを追うとわかると、彼はさらにその後方から浜松を衝くと見せて挟撃して来るに違いなかった。 こうして二手に分かれた敵を、わずかな徳川勢で、どうしてあしらうかが、いま彼の脳裡で決定を迫っている。 地上に浄土を築くか、それとも武門らしい死を選ぶか? いや、死を選ぶなどという迷いはすでに捨て切って、わが目的のためにどう戦うかがあるだけだったが、こうして月光の下に沈思していると、死んでいった家臣の幽霊が、彼の周囲を取り込めてくるのを感じた。 わが身代わりに死んでいった夏目正吉。 臆病ではないと叫んで斃
れた鳥居忠広。 敗戦のしんがりを引き受けて雪中に斬りきざまれた本多忠真。 まだ蕾ともいうべき一族の松平康純や、米沢政信、成瀬正義らのおもかげが、次々に飛び来たって、何かささやいては飛び去ってゆくのである。 家康はそれらの一人一人が、何を訴えているかがよくわかった。 「──
殿! 臆してはなりませぬぞ」 武田信玄という日本一の武将に、独力で対さなければならなくなったというのは、決して不幸なことではない。 「── 信玄ほどの武将を、殿という珠を磨き上げようとして用意なされた神の意志を汲ませられませ」 (わかっている・・・・わかっているぞ・・・・) と、その時、ダアーンと一発、夜のしじまを破った銃声が、この砦にも聞こえて来た。 「何であろう、今の銃声は」 家康より先に、榊原康政がむっくりと立ち上がった。 |