~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅸ』 ~ ~

 
== 『日 本 国 紀 (下)』 ==

著 者:百 田 尚 樹
発 行 所:幻 冬 舎 文 庫
 
 
 
 
 
平和ボケ
戦後の日本人を蝕んだ「自虐思想」に付随して生まれ、浸透したのが日本独特の「平和主義」でした。これは「平和」を目的とするものではなく、極端な反戦主義と言い換えた方がいいかも知れません。
憲法九条によって国の安全保障をアメリカに委ねてしまった日本人は、ただ「平和」を唱えていさえすれば、「平和」でいられるという一種の信仰を持つに等しい状態となっていきました。そして「武」を「けがれ」として忌み嫌う、平安時代の貴族のような思想を持つに至ったといえます。
昭和四十年代から平成半ばまでは、自衛隊をさげすみ、嫌悪する考えが非常に強くありました。戦後、日本人は、平和には戦いや犠牲がつきものであることや、時には力をもって、平和を勝ち取り維持しなければならないという「常識」を捨て去ってしまっていたのです。
その象徴的な事件が昭和五十二年(1977)に起こった「ダッカ日航機ハイジャック事件」でした。これは日本の極左暴力集団が日航機をハイジャックし、人質を取ってバングラディッシュのダッカのジア国際空港に立て籠った事件ですが、日本政府は「超法規的措置」、つまり法律を捻じ曲げて、犯人の要求通りに多額の身代金を払い、さらに日本に服役・拘留中の凶悪犯(一般刑法犯)を釈放して、ハイジャック犯を逃してしまったのです。
この時、首相の福田赳夫ふくだたけおは自らのとった措置を正当化する理由といて、「一人の命は地球より重い」と言って、世界中から失笑を買いました。この言葉は、小説家や詩人が命の重さを表現するのに使う陳腐なレトリックであって、一国の首相が凶悪事件や治安維持の場面で用いる言葉ではありません。これを絶対に正しいとするなら、事故で毎年数千人の死者を出す自動車さえ運転禁止にしなくてはならなくなるでしょう。
しかし当時の日本のメディアや世論に、福田首相を非難する声はなく、むしろ良心的な正論として捉えられていました。つまり当時の日本人の多くが、首相やメディアも含めて、完全に「平和ボケ」状態に陥っていたといえます。この結果、海外で日本人を狙った誘拐テロ事件が多発することになりました。
ちなみに政府が超法的措置をとった場面は、もう一例あります。
平成二十二年(2010)、沖縄県の尖閣諸島沖の日本領海内で、海上保安庁の船に体当たりしてきた中華人民共和国の漁船の船長を現行犯で逮捕した時のことです。当時の民主党政権は、北京を怒らせることを恐れて、超法規的措置をとり、中国人船長を釈放したのです。この弱気な措置により、中華人民共和国はこれ以降尖閣諸島沖での圧力を一気に高めて来るように「なりました。
2026/03/04
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