~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅸ』 ~ ~

 
== 『日 本 国 紀 (下)』 ==

著 者:百 田 尚 樹
発 行 所:幻 冬 舎 文 庫
 
 
 
 
 
日露戦争
日本とロシアの戦争は、二十世紀に入って初めて行なわれた大国同士の戦いでしたが、世界の列強は日本が敗れるだろうと見ていました。ロシアの国家歳入約二十億円に対して日本は約二億五千万円、常備兵力は約三百万人対約二十万人の戦いでした。
しかもコサック騎兵は世界最強の陸上部隊といわれ、ロシア海軍もまた世界最強といわれていました。
ロシア陸軍の最高司令官アレクセイ・クロパトキンはこう うそぶ いたといわれています。
日本兵三人にロシア兵は一人で十分。今度の戦争は軍事的な散歩にすぎない」。
また日本に四年間駐在していた陸軍武官はこう言っています。「日本軍がどれほど頑張ろうと、ヨーロッパの一番弱い国と勝負するのには百年以上はかかる」。今日、私たちは日本がロシアに勝利したことを知っていますが、当時、日露戦争は日本とって絶望的と見られていたのです。
ただ、この戦争の直前に日本がイギリスと同盟を結んでいたことが一筋の光明でした。日英同盟では、「どちらかの国が戦争になった場合、一方は中立を守る」とありましたが、「もしどちらかが二つの国と戦争になった場合、一方は同盟国に味方をし参戦する」となっていたのです。この条文は非常に重要で、これが日本を救いました。
実はロシアは明治二十九年(1896)に清と露清密約を交しており、そこには「日本がロシア・朝鮮・清に侵攻した場合、露清両国は陸海軍で相互に援助する」という条文がありました。つまり「日露戦争」が始まれば、清はロシアのために日本を攻撃することになったいたのです。しかし、そうなれば日英同盟によりイギリスが参戦することになるので、清は動けませんでした。もし日英同盟がなければ勝ち目はなかったでしょう。
とはいえ清の参戦がなくても、日本が圧倒的に不利なことには変わりはありません。
日本の大きな弱点の一つは資金でした。戦争遂行には膨大な物資を輸入しなければならず、日本はその資金(外資)が一億円も不足していたのです。これを外国公債で補おうとしましたが、日本の外資は開戦の前に暴落しており、新たに発行する予定の一千万ポンドの外債の引き受けてはどこにも現れませんでした。世界中の投資家が、日本はロシアに敗北すると予想し、資金回収出来ないと判断していたためです。同盟国イギリスの銀行家らの見方も同様で、また「公債引き受けは軍費提供となり、中立違反となる」とも考え、引き受けを躊躇したのです。
この難事に、日銀副総裁の高橋是清たかはしこれきよは自らロンドンに出向き、「この戦争は自衛のためやむを得ず始めたものであり、日本は万世ばんせい一系の天皇の下で一致団結し最後の一人まで戦い抜く所存である」と訴えます。さらに中立問題に関しては、「アメリカの南北戦争中に、中立国が公債を引き受けた事例がある」という前例を示してイギリスを納得させたのでした。その上で、額面百ポンドの外債を九十三・五ポンドまで値下げし、日本の関税収入を抵当するという好条件を示して、ロンドンで五百万ポンドの外債発行の見込みを得ました(この時の関税での支払いは、何と八十二年後の昭和六十一年【1986】に完済)
高橋はまたロンドン滞在中に、帝政ロシアを敵視するアメリカのユダヤ人銀行家ジェイコブ・シフの知遇を得て、ニューヨークの金融業界に残りの五百万ポンドの外債を引き受けてもらうことにも成功します。高橋の活躍により、日本はようやく大国ロシアと戦う目途が立ったのです。
2025/12/14
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