~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅸ』 ~ ~

 
== 『日 本 国 紀 (下)』 ==

著 者:百 田 尚 樹
発 行 所:幻 冬 舎 文 庫
 
 
 
 
 
コラム-03
幕末から明治にかけて、多くのヨーロッパ人が日本を訪れましたが、彼らの多くが初めて見る日本の社会や文化に驚き、それを書き残しています。中には批判的なものもあれば、嫌悪の目で見た記述もあります。また文化の違いを理解しない面から見た非難や、有色人種を一段下に見た侮蔑的な視点もあります。しかし彼らが一様に感銘を受けていることがある。それは民衆の正直さと誠実さです。
トロイアの遺跡を発見したことで知られる考古学者のハインリッヒ・シュリーマンは慶応元年(1865)に日本を訪れています。彼はその前に清(中国)を旅しており、そこでは中国人から法外な料金をふっかけられるのが常だったのに対し、日本では渡し船の船頭が、正規の料金しか要求しなかったことを驚きをもって書き残しています。また、横浜から入国する際の日本人の誇りある態度にも感銘を受けています。荷物を解く作業が大変なので免除してもらうと、税官吏にこっそり袖の下(金)を渡そうとしたシュリーマンに対し、二人の税官吏は自分の胸を叩いて、「ニッポンムスコ」と言い、受け取りを拒んだというのです。そして二人の税官吏はシュリーマンを信じ、解いた荷物の上だけを見て通してくれました。
初代駐日イギリス総領事・公使のラザフォード・オールコックは、日本の役人には辛辣な評価を下していますが、一般庶民については、まったく別の見方をしています。ある日、彼は心から愛していた飼い犬を旅先の事故で失いました。宿屋の経営者に、美しい庭に犬を埋葬してもいいかと訊ねると、主人は快く承知したばかりか、多くの人とともに墓を掘って丁寧に埋葬してくれたというのです。
まるで自分たちの家族が亡くなったようにともに悲しんでくれたと、オールコックは感動をもって書きに残しています。
明治の初頭に日本を旅したイギリスの女性旅行家イザベラ・バードは、「日本ほど女性が一人で旅しても危険や無礼な行為とまったく無縁でうられる国はない」と旅行記に記しています。世界中を旅してきた彼女にとっては、「ただの一度として無作法な扱いを受けたことも、法外な値段をふっかかられたこともない」経験は稀有なことでした。
ある日、馬子とともに旅したバードは、一本の革ひもを紛失しました。すると馬子は、日が暮れていたにもかかわらず、一里(四キロ)引き返して革ひもを探してくれたのです。バードがその分の金を払おうとすると、馬子は「旅の終わりには何もかも無事な状態で引き渡すのが自分の責任だから」と言って。一銭も受取りませんでした。これに似た経験を幾度もしたバードは、「彼らは丁重で、親切で、勤勉で、大悪事とは無縁です」と記しています。
同じく明治初期の話ですが、大森貝塚を発見したことで知られるアメリカの動物学者エドワード・モースは、瀬戸内地方を旅したある日、広島の旅館に、金の懐中時計と銀貨・紙幣を預けて、遠出をしよういとします。すると旅館の女中は、それらを盆に載せて、モースの泊まった部屋の畳の上に置きました。部屋は襖で仕切られているだけで、誰でも容易に出入りできます。モースが部屋の主人に、これでは心配だというと、主人は「ここに置いておけば安全です」と答えました。不安をぬぐえないモースでしたが、腹をくくって、そのまま遠出しました。
一週間後、旅館に戻ったモースは、心底から驚くことになります。盆の上には、金時計はいうに及ばず、小銭に至るまでそのままの形で残されていたからです。
このあたりでやめておきますが、幕末から明治にかけて日本を訪れた欧米人の書き残したものには、こんな話が山のように出てきます。そこには、誠実で、嘘をつかず、優しい心を持っていた日本人の姿があります。
私は何もすべての日本人がそうであったと言うつもりはありません。江戸時代の日本にも凶悪犯罪はありましたし、いつの時代においても不誠実な犯罪者はいました。しかし幕末から明治にかけて日本を訪れた外国人たちが、一種の驚きを持って、優しく誠実な日本人のエピソードを書き残したことは紛れもない事実です。それらの記録を読む時、私は自分たちの祖先を心底誇らしく思います。幕末の動乱の中で、多くの武士が日本の未来をかけて戦っていたその時も、庶民は日本の美徳を失うことなく毎日を懸命に生きていたのです。
2025/11/26
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