~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅳ』 ~ ~
 
==平 家 物 語==
校 注・訳者:市古 貞次
発行所:小 学 館
 
2018/11/20 輿こし ぶり
さるほどに山門の大衆だいしゆ国司こくし加賀守かがのかみ師高もろたかを流罪に処せられ、目代もくだい近藤判官こんどうのはうぐわん師経もろつねを禁獄せらるべき由、奏聞そうもん度々どどに及ぶといへども、御裁許ごさいきよなかりければ、日吉の祭礼をうちとどめて、安元あんげん三年四月十三日たつの一点に、十禅師じふぜんじ客人まらうど、八王子、三じや神輿しんよかざり奉ッて、陣頭ぢんどうへ振り奉る。さがり松、きれ松、きれつづみ、賀茂の河原かはらただす、梅ただ、柳原やなぎはら東北院とうぼくゐんの辺りに、しら大衆だいしゆ神人じんにん宮仕みやじ専当せんだう、みちみちて、いくらと云ふ数を知らず。神輿は一条を西へいらせ給ふ。御神宝じんぼう天にかかやいて、日月にちげつ地に落ち給ふかとおどろかる。是によッて、源平両家りやうか大将軍だいしやうぐん、四方の陣頭をかためて、大衆ふせぐべき由仰せ下さる。平家には、小松こまつ内大臣ないだいじん左大将さだいしやう重盛公しげもりこう其勢そのせい三千余騎にて、大宮面おほみやおもて陽明やうめい待賢たいけん郁方いくほう、三つの門をかため給ふ。弟宗盛むねもり知盛とももり重衡しげひら、伯父頼盛よりもり教盛のりもり経盛つねもりなんどは、西南にしみなみの陣をかためられけり。源氏には、大内守護たいだいしゆご源三位げんざんみ頼政卿よりまさきやう渡辺わたなべはぶくさずくをむねとして、其勢わずかに三百余騎、北の門、縫殿ぬひどのの陣をかため給ふ。所はひろし勢は少なし、まばらにこそみえたりけれ。
(口語訳)
さて、山門の衆徒は、国司加賀守師高もろたかを流罪の刑に処分され、目代もくだい近藤判官師経もろつねを禁獄なさるように、たびたび奏聞したけれども、ご裁許がなかったので、日吉神社の祭礼をやめて、安元三年四月十三日午前七時半頃に、十禅師、客人まろうどの宮、八王子権現の三社の神輿しんよを飾り奉って、陣の先へ振り上げ進め奉った。下がり松、きれ堤、賀茂の河原、糺、梅ただ、柳原、東北院の辺りに、官位のない衆徒、神人、宮仕、下法師がいっぱいいて、その人数がわからないほどである。神輿は一条を西にお進みになる。ご神宝は天に輝いて、日月が地にお落ちになったかと驚かれるばかりである。このために、「源平両家の大将軍は四方の陣を固めて、衆徒を防ぐように」との仰せが朝廷から下された。平家では小松の内大臣の左大将重盛公が、その勢三千余騎で、大宮大路に面した陽明ようめい待賢たいけん郁方ゆうほうの三つの門を固められる。弟の宗盛むねもり知盛とももり重衡しげひら、伯父の頼盛よりもり教盛のりもり経盛つねのりなどは、西南の陣を固められた。源氏では大内守護の源三位頼政よりまさ卿が渡辺のはぶくさずくを中心にしてその勢わずか三百余騎で、北の門すなわち縫殿ぬいどの の陣を固められる。場所は広いし軍勢は少ないので、まばらに見えた。
大衆無勢ぶせいたるによッて、北の門、縫殿の陣より、神輿をいれ奉らむとす。頼政卿さる人にて、馬よりおりかぶとをぬいで、神輿を拝し奉る。つはどもども皆かくのごとし。衆徒の中へ、使者をたてて申し送る旨あり。其使そのつかひは、渡辺の長七唱ちやうじつとなふと云ふ者なり。唱、其日は、きちんの直垂ひたたれに、小桜を黄にかへいたるよろひ着て、赤銅しやくどうづくりの太刀たちをはき、廿四さいたる白羽しらはおひ、滋籐しげどうの弓、わきにはさみ、かぶとをばぬぎ高紐たかひもにかけ、神輿しんよの御前へかしこまつて申しけるは、「衆徒しゆと御中おんなかへ、源三位殿げんざんみどのの申せとざうらふ。今度山門の御訴訟、理運の条、勿論もちろんに候。御成敗ごせいばい遅々こそ、よそにても遺恨に覚え候へ。さては神輿しんよ入れ奉らむ事、子細に及び候はず。ただ頼政よりまさ無勢ぶせいに候。其上あけて入れ奉る陣よりいらせ給ひて候はば、山門の大衆は目だりがほしけりなんど、京童部きやうわらんべが申し候はむ事、後日ごにちの難にや候はんずらむ。神輿を入れ奉らば、宣旨せんじそむくに似たり。又ふせぎ奉らば、年来としごろ医王山王いわうさんわうかうべをかたぶけ奉ッて候が、今日けふより後、ながく弓箭ゆみやの道にわかれ候ひなむず。かれといひ是といひ、かたがた難治なんぢやうに候。東の陣は、小松殿こまつどの大勢おほぜいでかためられて候。其陣よりいらせ給ふべうもや候らむ」と、いひ送りたりければ、となふがかく申すにふせがれて、神人じんにん宮仕みやじしばらくゆらへたり。若大衆わかだいしゆどもは、「何条なんでう其儀あるべき。ただ此門より、神輿を入れ奉れ」と云ふやからおほかりけれども、老僧のなかに、三塔一さんたふいち僉議者せんぎしやときこえし、摂津堅者ゆのりつしや豪運がううん、すすみ出でて申しけるは、「もつともさいはれたり。神輿をさきだて参らせて訴訟をいたさば、大勢おほぜいの中をうち破つてこそ後代こうたいの聞こえもあらむずれ。就中なかんづく頼政卿よろまさのきやう六孫王ろくそんわうより以降このかた、源氏嫡々ちやくちやく正棟しやうとう弓箭ゆみやをとッて、いまだ其不覚をきかず。およそ武芸にもかぎらず、歌道にもすぐれたり。近衛院このゑのゐん御在位の時、当座の御会ごくわいありしに、深山花しんざんのはなといふ題を出されたりけるを、人々よみわづらひたりしに、此頼政卿、
深山木みやまぎの そのこずゑとも 見えざりし さくらは花に あらはれにけり
と云ふ名歌つかまつて、御感ぎよかんにあづかるほどのやさ男に、時に臨んでいかがなさけなう恥辱をばあたふべき。此神輿しんよかきかへし奉れや」と僉議せんぎしければ、数千人すせんにんの大衆、先陣より後陣ごぢんまで、皆、もつともつともとぞ同じける。さて神輿を先立て参らせて、東の陣頭ぢんどうより待賢門たいけんもんより入れ奉らむとしければ、狼藉らうぜきたちまちに出で来て、武士ども散々さんざんに射奉る。十禅師じふぜんじ御輿みこしにも、どもあまた射たてたり。神人宮仕じんにんみやじ射ころされ、衆徒しゆとおほくきず蒙疵かうぶる。をめきさけぶ声、梵天ぼんでんまでもきこえ、堅牢地神けんらうぢじんも驚くらむとぞおぼえける。大衆だいしゆ、神輿をば、陣頭にふりすて奉り、泣く泣く本山ほんざんへかへりのぼる。
(口語訳)
衆徒はここが軍勢が少なく手薄だと見て、北の門、縫殿ぬいどのの陣から、神輿しんよを御所にお入れしようとした。頼政よりまさ卿は相当な人で、馬から降りかぶとを脱いで、神輿を拝み奉った。兵士どももみな同様に拝んだ。それから衆徒の中に、使者を立てて申し入れる事があった。その使者は、渡辺の長七唱ちょうじつとなうという者である。唱は、その日は麴塵きくじん直垂ひたたれに、小桜革を黄に染め返しておどしたよろいを着て、赤銅づくりの太刀を帯び、白羽の矢二十四本をさしたえびらを負い、滋籐しげとうの弓をわきばさみ、かぶとを脱いで高紐たかひもにかけ、神輿の御前にかしこまって申すには、「衆徒方の御中へ、源三位頼政殿が申せとのことです。今度の山門のご訴訟は道理にかなっている事はもちろんです。朝廷のご裁断が遅々として進まないのは、よそで見ていても残念に思われます。そうであるからには神輿をお入れするという事は、あれこれ申すまでもない事です。ただし頼政は無勢でございます。そのうえこちらからあけてお入れする陣から、おはいりになりましたなら、山門の衆徒は弱みにつけこんで目尻をたらした顔で通ったなどと、京童きょうわらべが申すでしょうが、それでは、後々お困りになるでしょう。こちらとしては、神輿をお入れするならば、宣旨に背くのと同様です。また神輿が入るのを防ぎ申すならば、長年医王山王を信仰し礼拝しております身が、長く弓矢の道と別れる事になるでしょう。それといいこれといい、どちらも困難のようです。東の陣は、小松殿が大勢でかためられています。その陣からお入りになるべきでもございましょうか」と申し入れたので、唱がこう申すのにとめられて、神人じんにん宮仕みやじはしばらく躊躇ちゅうちょした。若い衆徒らは、「なんでそんなことがあろうか、ただこの門から神輿をお入れ申せ」と言う連中が多かったが、老僧の中で三塔第一の雄弁者と言われた摂津堅者つのりつしゃ豪運が進み出て申すには、「頼政が言われるのはまことにもっともだ。神輿を先頭にして参り、訴訟を致すならば、大勢の兵の中を打ち破ってこそ、後代の評判にもよいだろう。とりわけこの頼政卿は、六孫王ろくそんおう以降源氏の嫡流の正統で、弓矢を取って、まだその失敗を聞いた事がない。だいたい武芸の道にすぐれているだけでなく、歌道にもすぐれている。近衛このえ院がご在位の時、当座の歌会があった際、深山花しんざんのはなという題を出されたのを、人々は歌をむのに苦しんでいたが、この頼政卿は、
(深山の木々はどの木の枝とも見分けがつかなかったが、桜だけは花が咲いていてそれとわかった)
という名歌をみ申して、近衛院が感心なさったほどの優雅な男に、こういうとっさの時だと言って、どうして情けない恥辱を与える事が出来ようか。この神輿しんよをかつぎ返し申せや」と評議したので、数千人の衆徒は、先陣から後陣まで、皆、「もっとも、もっとも」と賛成した。
さて神輿を先頭にお立てして、東の陣先の待賢門たいけんもんからお入れしようとしたので、乱暴がすぐさま起こって、武士どもはさんざんに矢を射た。十禅師じゅうぜんじ御輿みこしにも矢をたくさん射たてた。神人じんにん宮仕みやじは射殺され、衆徒が大勢傷を受けた。わめき叫ぶ声は、上は梵天まで聞こえ、下は堅牢地神けんろうじしんも驚くだろうと思われた。衆徒は神輿を陣頭に振り捨て申して、泣く泣く本山の比叡山ひえいざんに帰り登った。