~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅳ』 ~ ~
 
==平 家 物 語==
校 注・訳者:市古 貞次
発行所:小 学 館
 
2018/11/11 しゆん くわんの がは いくさ (二)
彼西光が子に師高もろたかと云ふ者あり。是もきり者にて、検非違使けびゐし五位尉ごゐのじようあがッて、安元あんげん元年十二月廿九日、追儺ついな除目ぢもく加賀守かがのかみにぞなされける。国務をおこなふ間、非法ひはふ非例ひれい張行ちやうぎやうし、神社仏寺、権門勢家けんもんせいか庄領しやうりやう没倒もちたうし、散々さんざんの事どもにてぞありける。たと召公せうこうがあとをへだつといふとも、穏便のまつりごとをおこなふべかりしが、かく心のままにふるまひしほどに、おなじき二年夏のころ、国司師高がおとと近藤判官師経こんどうはうぐわんもろちね加賀かが目代もくだいせらる。目代下着げちゃくのはじめ、国府こふのへんに鵜河うがはと云ふ山寺あり。寺僧どもが境節をりふし湯をわかいてあびけるを、乱入しておひあげ、わが身あひ、雑人ざふにんどもおろし、馬あらはせなんどしけり。寺僧いかりをなして、「昔より此所このところは、国方くにがたの者入部にふぶする事なし。すみやかに先例に任せて、入部の押妨あふはうをとどめよ」とぞ申しける。「先先ぜんぜん目代もくだいは不覚でこそいやしまれたれ。当目代たうもくだいは其儀あるまじ。ただ法に任せよ」と云ふほどこそありけれ、寺僧どもは国方の者を追出ついしゆつせむとす、国方くにがたの者どもはついでをもッて乱入せんとす。うちあひはりあひしけるほどに、目代もくだい>師経もろつね秘蔵ひさうしける馬の足をぞうち折りける。其後はたがひ弓箭きゆうせん兵仗ひやうぢやうを帯して、射あひきりあひ、数剋すうこくにたたかふ。目代かなはじとや思ひけむ、に入ッて、引退ひきしりぞく。其後当国たうごく在庁ざいちやうどももよほしあつめ、其勢そのせい一千余騎、鵜川うがはにおし寄せて、坊舎ばうじや一宇いちうも残さず焼きはらふ。鵜河と云ふは、白山はくさんの末寺なり。此事うッたへんとて、すすむ老僧誰々たれたれぞ。智釈ちしやく学明がくめい宝台坊ほうだいばう正智しやうち学音がくおん土佐阿闍梨とさのあじやりぞすすみける。白山しらやま三社さんじや八院はちゐん大衆だいしゆ、ことごとくおこりあひ、都合其勢二千余人、おなじき七月九日ここのかのひ暮方くれがたに、目代師経がたちちかうこそおし寄せたれ。
(口語訳)
その西光の子に師高もろたかという者がいた。この男も切れ者で、だんだん昇進して検非違使五位尉になり、安元元年十二月二十九日、追儺ついな除目じもくで加賀守に任じられた。師高は国務を行う間に、非法非例を強引に行い。神社寺院や権力化・勢力家の荘園領地を没収し、全くぎどい状態であった。たとえ周の召公しょうこうの善政を行った時からはるかに隔たっており、その善政には及ばないといっても、穏やかな政治を行うべきだったのだが、このように思いのままにふるまっているうちに、安元二年の夏の頃に、国司師高の弟、近藤判官師経もろつねが加賀国の目代もくだいに任じられた。師経が目代として着任早々に、国府のあたりに鵜川うがわという山寺があって、そこの寺僧どもがちょうど湯を沸かして浴びていたところに、乱入して追い払い、自分自身が入浴し、召使どもを馬から下ろして、馬を洗わせたりなどした。寺僧は怒って、「昔からここは国府の役人が入って来たことはない。さっそく先例どうりに、領地に押し入り乱暴するのを止めろ」と申した。「前々の目代は考えが足りないから軽蔑されたのだ。今の目代はそういう事はないぞ。ただ国法に従え」と言うやいなや、寺僧どもは国府方の者を追い出そうとする。国府方の者どもは機会を狙って乱入しようとする。打ち合い殴り合いしているうちに、目代の師経が大切にしていた馬の足を折ってしまった。それから後は互いに弓矢・武器を持って戦った。目代はかなわないと思ったのだろうか、夜になって、退却した。其の後加賀の国の国府の役人どもを呼び集めて、その勢一千余騎が鵜川に押し寄せて、僧坊を一軒も残さず焼き払った。鵜川というのは白山の末寺である。この目代の乱暴を訴えようといって、進み出た老僧は誰々か。智釈ちしゃく学明がくめい宝台坊ほうだいぼう正智しょうち学音がくおん・土佐阿闍梨が進み出た。白山三社八院はくさんさんじゃはちいんの衆徒がことごとく立ち上がって、その勢計二千余人が、同年七月九日の夕方に、目代師経のやかた近くに押し寄せた。
今日けふは日暮れぬ、あすのいくさとさだめて、其日は寄せでゆらへたり。露ふきむすぶ秋風は、射向いむけの袖をひつがへし、雲井をてらすいなづなは、かぶとの星をかかやかす。目代かなはじとや思ひけん、にげして、京へのぼる。あくるこくに押し寄せて、時をどッとつくる。じやうのうちはおともせず。人をいれてみせければ、「皆落ちて候」と申す。大衆だいしゆ力及ばで、引退ひきしりぞく。さらば山門へうッたへんとて、白山はくさん中宮ちゆうぐう神輿しんよかざり奉り、比叡山ひえいざん へ振り上げ奉る。おなじき八月十二日のむまこくばかり、白山の神輿しんよすでに比叡山ひんがし坂本さかもとにつかせ給ふと云ふほどこそありけれ、北国に方より、らいおびただしく鳴ッて、都をさしてなりのぼる。白雪はくせつくだりて地をうづみ、山上洛中らくちゆうおしなべて、常葉ときはの山のこずゑまで、皆白妙しらたへになりにけり。
(口語訳)
今日は日が暮れた。明日が戦と決めて、その日は押し寄せないでとどまっていた。吹いて露をこしらえるという秋風は、射向けのそでをひらひらさせ、空を照らす稲妻は、かぶとの星をきらめかせる。目代はかなわないと思ったのだろう、夜逃げをして、京へ上った。翌日の午前六時に僧徒らは目代の館に押し寄せて、ときをどっとつくった。城の内には物音もしない。人を城内に入れて見せたところ、「皆逃げてしまいました」と申した。大衆はしかたなく退却した。それなら山門へ訴えようというので、白山中宮はくさんちゅうぐうの神輿を飾り奉り、比叡山ひえいざんへ向かってそれをお進めした。同年八月十二日の正午頃に白山の神輿がもう比叡山東坂本にお着きになるといううわさが伝わるとすぐ、北国の方から雷がひどく鳴って、都を目指して上って来た。白雪が降って来て地面を覆い、比叡山の山上も京都の内もすべて、常緑樹の山のこずえまで、皆白一色になってしまった。