~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅳ』 ~ ~
 
==平 家 物 語==
校 注・訳者:市古 貞次
発行所:小 学 館
 
2018/09/29 殿てんじやうのやみうち (三)
案のごとく五節ごせつはてにしかば、 殿上人てんじやうびと一同に申されけるは、「夫雄剣それゆうけんを帯して公宴くえんに列し、兵仗ひやうぢやうを給はつて宮中を出入しゆつにふするは、みな是格式きやくしきの礼をまもる、綸命りんめいよしある先規せんきなり。しかるを忠盛ただもりの朝臣あつそんあるい相伝さうでん郎従らうじゆうかうして、布衣ほういつはもの殿上てんじやう小庭こにはに召しおき、あるいは腰の刀を横だへさいて、節会せちえの席につらなる。両条希代きたいいまだ聞かざる狼藉らうぜきなり。事すで重畳ちようでふせり。罪科もっとものがれがたし。早く御札みふだをけづッて、闕官けつくわん停任ちやうにんせらるべき」由、おのおの訴へ申されければ、上皇しやうくわう大きに驚きおぼしめし、忠盛を召して御尋おんたづねあり。陳じ申しけるは、「まづ郎従小庭に祗候しこうの由、まつたく覚悟仕らず。ただし近日人々あひたくまるるむね子細しさいあるの間、年来ねんらい家人けにん事をつたへ聞くかによッて、其恥そのはじをたすけむが為に、忠盛に知られずして、ひそかに参候さんこうの条、力及ばざる次第なり。しなほ其咎そのとがあるべくは、彼身かのみを召し進ずべき歟。次に刀の事、主殿司とのもづかさに預けおきをはんぬ。是を召しいいだされ、刀の実否じつぶについて、とが左右さうあるべき歟」よ申す。「此儀尤しかるべし」とて、其刀を召しいだして叡覧えいらんあれば、うえは鞘巻さやまきの黒くねりたりけるが、中は木刀きがたな銀薄ぎんぱくをぞおしたりける。
「当座の恥辱をのがれん為に、刀を帯する由あらはすといへども、後日ごにちの訴訟を存知ぞんぢして、木刀を帯しける用意のほどこそ神妙しんべうなれ。弓箭きゅうせんたづさはらむ者のはかりことは、尤もかうこそあらまほしけれ。兼ねては又郎従小庭に祗候しこうの条、かつつうは武士の郎等らうどうのならひなり。忠盛がとがにあらず」とて、還而かへッて叡感えいかんにあずかッしうえは、へて罪科の沙汰さたもなかりけり。
(口語訳)
はたして五節の節会せちえが終わってしまった後、殿上人が口をそろえて申されるには、「いったい大剣を帯びて朝廷の宴会に列席し、随身ずいしんを召し連れることを許されて宮中を出入りするのは、すべて法令のしきたり・礼儀を守るべきで、勅命によって定められた由緒ゆいしょある以前からの規定である。それなのに忠盛朝臣は、あるいは年来の家来と称して、無紋の狩衣かりぎぬの武士を殿上の小庭に召しておき、あるいは腰の刀を横たえさして、節会の座に列席している。この二つの事は、世にもまれな、まだかつて聞いたことのない乱暴な事である。事はすでに二つも重なっている。罪科ざいかは何としても、免れることは出来ない。早く彼の姓名を記した殿上の御札を削除して、官職をやめさせ、任務を停止なさるべきだ」とめいめい訴え出られたので、鳥羽とば上皇は非常に驚かれて、忠盛を御前に召してお尋ねになった。
忠盛が釈明して申すには、「まず家来が殿上の小庭に伺候しこうしていたとのこ事は全然存じておりません。ただし最近人々が計略をめぐらしておられる事についてわけがあるとかいう事ですので、年来の家来が、その事を伝え聞くとかして、そこで私が恥を受けるのを救うために、忠盛に知られないようにして、こっそり殿上の小庭に参り控えていましたのは致し方のない次第です。もしそれでも罪があるのでしたら、その家来の身を召して差し出すべきでしょうか。次に刀の事は主殿司とのもづかさに預けておきました。これをお召し出しになり、本物の刀か否かによって、罪にするかしないかをお決めになるべきでしょう」と申した。「これはもっともそうすべきだ」と、その刀を召し出して御覧になると、上は鞘巻さやまきの黒く塗ったのであったが、中身は木刀に銀箔ぎんぱくをはりつけてあった。「さしあたっての恥辱ちじょくを免れるために、刀を帯びているように見せかけたかれども、後日ごじつ訴訟のある事を考えて、木刀を帯びていた、その用意の深さはまことに感心だ。弓矢に携わる者のはかりごとは、何よりもこのようにありたいものだ。同様にまた家来が小庭に伺候しこうしていた事は、一方から考えてみると、武士の家来の常だ。忠盛の罪ではない」といって、おとがめがなかったばかりでなく、かえっておほめにあずかったのでそうなった以上は、特に罪科に処するという命令はなかった。