~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅳ』 ~ ~
 
==平 家 物 語==
校 注・訳者:市古 貞次
発行所:小 学 館
 
2018/09/34 をん しやう じや (一)
祇園精舎の鐘の声、諸行しょぎゃう無常むじゃうひびきあり。沙羅しゃら双樹さうじうの花の色、盛者じゃうしゃ必衰ひっすいことわりをあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春のの夢のごとし。たけき者もつひにはほろびぬ。ひとへに風の前のちりに同じ。遠く異朝をとぶらへば、しん趙高てうかうかん王莽わうまうりやう周伊しういたう禄山ろくさん是等これらは皆旧主きうしう先皇せんわうまつりごとにもしたがはず、楽しみをきはめ、いさめを思ひいれず、天下てんかの乱れむ事をさとらずして、民間のうれふる所を知らざッしかば、久しからずして、ぼうじにし者どもなり。近く本朝をうかがふに、承平しょうへい将門まさかど天慶てんぎやう純友すみとも康和かうわ義親ぎしん平治へいじ信頼のぶより此等これらはおごれる心もたけきことも、皆とりどりにこそありしかども、まぢかくはろく波羅はら入道にふだうさきの太政大臣だじやうだいじんたひらの朝臣あつそん清盛きよもりこうと申しし人の有様ありさま、伝へ承るこそ、心もことばも及ばれね。
(口語訳)
祇園精舎の鐘の音は、諸行しょぎょう無常むじょうの響きをたてる。釈迦しゃか入滅にゅうめつの時に、白色に変じたという沙羅さら双樹そうじゅの花の色は、盛者じょうしゃ必衰ひっすいの道理を表している。おごり高ぶった人も、末長く驕りにふける事は出来ない、ただ春の夜の夢のようにはかないものである。勇猛な者もついには滅びしまう、全く風の前のちりを同じである。遠く外国の例を捜してみると、秦の趙高ちょうこう、漢の王莽おうもうりょう朱异しゅい、唐の安禄山あんろくざん、これらの人々は皆、旧主先皇の政治にも従わず、楽しみをきわめ、人の諌言かんげんも心にとめて聞き入れる事もなく、天下の乱れる事も悟らないで、民衆の嘆き憂いを顧みなかったので、末長く栄華を続けることなしに滅びてしまった者どもである。近くわが国にその例を捜してみると、承平の将門まさかど天慶てんぎょうの藤原純友すみとも、康和の源義親、平治の藤原信頼のぶより、これらの人々は驕り高ぶる心も、猛悪な事も、皆それぞれにはなはだしかったが、やはりまもなく滅びてしまった者どもである。ごく最近では、六波羅ろくはらの入道前太政大臣平朝臣清盛きよもり公と申した人の驕り高ぶり、横暴なありさまを伝聞すると、なんとも想像も出来ず十分言い表わせないほどである。
先祖せんぞを尋ぬれば、桓武くわんむ天皇てんわう第五の皇子わうじ一品いつぽん式部卿しきぶきやう葛原かづはらの親王しんわう、九代の後胤こういん讃岐守さぬきのかみ正盛まさもりそん刑部卿ぎやうぶきやう忠盛ただもりの朝臣あそんの嫡男なり。かの親王しんわう御子みこ高視たかみわう、無官無位にしてうせ給ひぬ。其御子おんこ高望たかもちの王の時、始めてたいらしやうを給はッて、上総介かづさのすけになり給ひしより、たちまちに王氏わうしを出でて人臣につらなる。其子鎮守府ちんじゅふの将軍しやうぐん吉茂よしもち、後には国香くにかとあらたむ。国香より正盛にいたるまで六代は、諸国の受領じゅりやうたりしかども、殿上てんじやう仙籍せんせきをばいまだゆるされず。
(口語訳)
その先祖を調べてみると、桓武かんむ天皇第五の皇子、一品式部卿葛原かずらはら親王の九代も子孫にあたる讃岐守正盛まさもりの孫であり、刑部卿忠盛ただもり朝臣の嫡男である。あの葛原親王の御子みこ高視たかみ王は無位無官でお亡くなりになった。その御子高望たかもち王の時に、初めてたいらの姓を賜って、上総介かずさのすけにおなりになったが、それ以後すぐに皇族の籍を離れて人臣の列に連なった。その子の鎮守府将軍良望よしもちは後に名を国香くにかと改めたが、その国香から正盛までの六代の間は、諸国の受領であったけれども、まだ宮中に昇殿を許されなかった。