~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅲ』 ~ ~
 
==平家物語の女性たち==
著:永井 路子
 
恋 人 た ち
 
2018/06/28月
千 手 前 (五)
『平家物語』と『吾妻鑑』と、そのどちらが正しいか、という詮索は、この場合、あまり意味を持たないと思う。多分『平家』で出家して善光寺に行ったというのは、善光寺信仰と結びついたものだろうと思うが、だからといって『吾妻鑑』の方が真相に近い、とも言えないのである。
なぜなら『吾妻鑑』は鎌倉の中期、文永ごろになってからいろいろの史料をもとに編纂へんさんされたもので、当然『平家物語』をも参考にしているからだ。そういえば、五常楽や皇麞のあたりは全く『平家』とそっくりだし、これに限らず、『吾妻鑑』の中には『平家物語』の文章をそっくり漢文に移し替えたのではないか、と思われる所がいくつもある。してみるとこの部分も『平家物語』をもとにしたものだろうか。もしそうだとすると最後の違いは何によるのだろうか。『平家物語』に出て来る好ましい女性は、そのほとんどが出家している。これにあわせて『平家』の作者は千手を出家させてしまったのか。それにしても、突然善光寺信仰と結びつくのはなぜか。まだ解決されない問題はかなりあるが、このあたり、『平家』や『吾妻鑑』の性格を鮮明にする一つの手がかりにはなるかもしれない。
が、今はただ重衡と千手、この二人に目をとめておこう。都の貴公子と東国の平凡な女、死を目前にして、必死に悟りを求め、すでに現世には関心を持てなくなった男と、そうした歴史的な流れにはほとんど無縁な、無垢むくなおとなしい女性。
千手は重衡を通して、死を知り、罪を知り、生きていることの意味を知らされたであろう。二十ぐらいの女性にとっては手にあまるほどの経験を彼女はどう受け止めたか。それについて、『平家』は出家したと描き、『吾妻鑑』は死んだと書く。が、私が興味を持つのは、むしろそうした結果よりも、それまでの彼女の心の過程である。これについては何も語られていないが、大きな戦いを経験して来た私たちの世代と、戦いを知らない世代との対話など、現代の問題についても、ついつい考えさせられてしまうのが、この「千手」の章なのである。