〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part X-U』 〜 〜
== 『般 若 心 経』==

2017/07/14 (金) 

般若心経 (現代語訳)

釈尊しゃくそん は、舎利弗尊者しゃりほつそんじゃに次のように説かれた。

観自在菩薩かんじざいぼさつは、深く心理の境地に至った時、すべてはくう であると悟って一切の悩み苦しみを超越したのだ。
舎利弗よ。あらゆる物質は、空を離れて別にあるものではない。空もまた物質とは別のものではないのだ。物質がそのままに空であり、空がそのままに物質なのだ。われわれの感覚や心の動きもまたしかり。
舎利弗よ。もろもろの存在が空であるということは、そこから何も生まれることはなく、したがって滅ぶこともない。けが れることもなく、またきよ まりもしない。増えることなく、減りもしないということである。
したがって空の中においては事物も、感覚も、感覚器官も、下界も、それを見たり感じたりするすることも、存在してはいないのだ。われわれの迷いや煩悩ぼんのう も本来は存在せず、同時にそれが尽きることすらない。生きては死んでいくことも本来は存在しないし、それがなくなることもない。個の悟りのみを求める声聞しょうもん縁覚えんがく のような阿羅漢あらかん たちが大切にしてきた仏教の教えもまた、存在しないのだ。
得るべき智慧ちえ もなく、得るべき何ものもなきがゆえに、観自在菩薩は般若波羅蜜多の功徳くどく によりいっさいの迷いを退しりぞ けて、仏の深き悟りの境地を得たのである。
過去、現在、そして未来の無数の仏たちも、この般若波羅蜜によるがゆえに、このうえなき最高の悟りを得ることができるのである。
ゆえにまさに知るがよい。般若波羅蜜が大いなる威力いりょく の呪文であることを。比べるもののなき呪文であり、等しきものなき最高の呪文であることを。
その呪文とは、次のごとくである。
ギャティ ギャティ ハラギャティ
ハラソウギャティ ボウジソワカ

声聞
お釈迦様の説法する声を直接聞いて悟りを求める仏弟子。大乗仏教では、自己の解脱だけを目的とする修行者をいう。
縁覚
仏の教えによらず自ら道を悟る者。世の無常を縁として悟るので縁覚という。大乗仏教では、小乗仏教の修行成就者をいう。
阿羅漢
人々から尊敬や布施を受ける資格のある人という意味で悟りを開いた高僧を指す。羅漢ともいう。
『実践 般若心経入門』 著:羽田 守快 ヨリ