釈尊
は、舎利弗尊者しゃりほつそんじゃに次のように説かれた。
観自在菩薩かんじざいぼさつは、深く心理の境地に至った時、すべては空くう
であると悟って一切の悩み苦しみを超越したのだ。 舎利弗よ。あらゆる物質は、空を離れて別にあるものではない。空もまた物質とは別のものではないのだ。物質がそのままに空であり、空がそのままに物質なのだ。われわれの感覚や心の動きもまたしかり。 舎利弗よ。もろもろの存在が空であるということは、そこから何も生まれることはなく、したがって滅ぶこともない。汚けが
れることもなく、また浄きよ まりもしない。増えることなく、減りもしないということである。 したがって空の中においては事物も、感覚も、感覚器官も、下界も、それを見たり感じたりするすることも、存在してはいないのだ。われわれの迷いや煩悩ぼんのう
も本来は存在せず、同時にそれが尽きることすらない。生きては死んでいくことも本来は存在しないし、それがなくなることもない。個の悟りのみを求める声聞しょうもん
や縁覚えんがく のような阿羅漢あらかん
たちが大切にしてきた仏教の教えもまた、存在しないのだ。 得るべき智慧ちえ
もなく、得るべき何ものもなきがゆえに、観自在菩薩は般若波羅蜜多の功徳くどく
によりいっさいの迷いを退しりぞ
けて、仏の深き悟りの境地を得たのである。 過去、現在、そして未来の無数の仏たちも、この般若波羅蜜によるがゆえに、このうえなき最高の悟りを得ることができるのである。 ゆえにまさに知るがよい。般若波羅蜜が大いなる威力いりょく
の呪文であることを。比べるもののなき呪文であり、等しきものなき最高の呪文であることを。 その呪文とは、次のごとくである。 ギャティ ギャティ ハラギャティ ハラソウギャティ ボウジソワカ |