〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part X-T』 〜 〜
== モ ー ツ ァ ル ト==
(著:ひ の ま ど か)

2017/06/24 (土) 

イ タ リ ア 病 (八)

「あの坊主は臆面もなくわたしにそう言った。自分が如何に無知かを知らせることになるとも知らずに」
「お父さん、ぼくこの宮廷やめるよ。こんな安い給料でこんな中途半端な地位にしばられているなんて、もうたくさんだ。このさい、きっぱりとやめて旅に出た方が、つぎの仕事だって見つけやすいや」
「よくわかった。わたしもお前の考えに異存はない。それではもう一度大司教に、わたしの休暇とおまえの辞職を請願しよう。旅に出るのならば、冬になる前に出発しなくてはならない」
八月一日に提出したこの請願に対して、大司教は親子両方の退職をみとめた。
父親の方は休暇しか求めなかったのに!
親子とも職を解かれてしまったことのショックに、レオポルトは寝込んでしまった。
「のクソ坊主の、犬のしっぽ野郎のコロレドめ! 三百代言め! ああ、ぼくはどんなにあいつを憎んでいるだろう! こんな嫌がらせに対して何も仕返しできないなんて。くやしくて、くやしくて、どうにかなりそうだ!」
地団太踏んで怒るヴォルフガングを、
「抑えなさい。おまえの血はすぐに熱くなり激高しやすいのだ。自分を抑えて冷静に考えるように努力しなし」
とたしなめながらも、レオポルトは途方にくれていた。
コロレドのちょうはつの乗って、二人とも仕事をやめたら、一家は無収入になる。それでほかに職が得られなかった日には、首でもくくるよりない。
この場はどれほど屈辱的であろうとも、自分は復職を願い出て、ヴォルフガングを旅に出そう。
ひとりで?
── いやあんなに未経験で世間知らずで、だれの尻馬にでも乗ってしまう息子を一人で出すわけにはいかない。では誰と・・・・。
長い間考えた後、レオポルトは決断を下した。
「母さん、おまえがヴォルフガングについていきなさい」
突然の指名を受けた母親は仰天した。
「わたしが? とてもできません。だって、これまではいつもあなたにご一緒していて、あなたの言われるとおりにしてきただけですもの。わたしには旅は無理ですわ」
「ではあの子を一人で行かせられるとでもいうのか! あの子は荷づくりなどしたこともない。金の種類も、使い方も知らない。旅に必要な知識をこれぽっちも持っていない」
「でも・・・・」
あるいはわれわれ一家が、まったく収入もなしに旅に出るという大冒険をおかせとでもいうのか! おまえはヴォルフガングと一緒に行くのです。それ以外に方法はないのだから」
レオポルトの意志は天の意志だった。
「神さまの次にえらい」 父親の言葉にさからえる者は、モーツァルト家にはいない。
うろたえ、おののき、あきらめながら、妻は夫の意志に従う覚悟を決めた。
つぎはヴォルフガングに、たくさんのことをいいわたさなくてはならない。
レオポルトはベッドにすわって、息子にこんこんと言い含めた。
「作曲家として世に知られるためには、パリか、ウィーンか、イタリアで生活しなくてはいけない。おまえはパリに行きなさい。パリには作曲家と呼べる人間が、五人やそこらしかいない。いや、まっすぐパリに行くことはない。道中どこででも、ミュンヘンでもアウスブルクでもマンハイムでも、出来ることは何でもしなさい。どこの宮廷も、何もしないで通り抜けることはない。ニュンヘンにしても、おまえは選帝候やゼーアウ伯爵と大の仲良しなのだ。とにかく立派な席がありさえすればどこでもよい。大切なのは、ときおり旅行をするのに邪魔が入らないような席を得ることだ。本当の大貴族ならば、おまえを雇うことを自分の名誉と考えないわけがない」
レオポルトの言葉は矛盾していた。それほど彼自身もあせり、うろたえ、不安にかられていた。
「いいか、母さんは何も出来ない。ただおまえの世話をするだけだ。万事おまえがやりなさい。わからないこと、困ったこと、迷うこと、どんなことでも手紙に書きなさい。わたしが最良の方法を考えて教えてやる。やるべきこと、会う人、どこで何をすべきか、わたしがそのつど指示を出すから、その通りにしなさい」
「どの宮廷でも、おまえは勲章を身につけるのだ。それがおまえを目立たせ、人からは敬意を払ってもらえる。旅はおまえの第二の父親だ。それにおまえは外国での方がうまくゆく。これまで万事そうだった。もし人から、考えられないほど安い給料でザルツブルクにいやわけを聞かれたら、ひとえに父親のためにそこにとどまっていた、と言いなさい。こんなことは大司教の名誉にならない以上に、おまえにとって名誉ではないのだ」
「よくよく覚えておきなさい。若い才能は極端な形で虐待される。このザルツブルクと同じように。人のことをすぐ信じてはいけない。おまえはあまりにも信じやすい性格だということを肝に銘じなさい。ああ、わたしがついて行けたならば・・・・ せめて最初の二、三ヶ月だけでも」
レオポルトは借金して旅費を作った。
友人のブリンガー神父から三百グルデン、商人のヴァイザーから百グルデン、仕立て屋から五十グルデン、もと家主のハウゲナウアーからもかなりの金額を。

一七七七年九月二十三日の早朝、ヴォルフガングと母マリーア・アンナを乗せた二輪の自家用馬車はザルツブルクを発った。
馬車が出る間際まで、父と母、姉と弟は交互に固く抱き合い、お互いの無事を祈りあい、涙を流して別れの言葉を交わした。
「自制しなさい。別れをこれ以上つらくしないように、母さんもナンネルも泣き止むのです」
御者のムチが馬にあてられ、握り合う八本の手が引き離された。
しばらくの間、呆然と馬車を見送っていた父と娘は、ハッと我に返って二階に駆け上がった。
そこからならまだ馬車が見えるかもしれない。
しかし、小さな軽装馬車はすでにハンニバル広場の市門を出て行ったあとだった。
ナンネルはベッドに泣き伏し、レオポルトもまた心労からくたびれ果てて、椅子にたおれ落ちた。
残された父と娘は、そのまま昼過ぎまで眠り込んでしまった。

『モーツァルト』 著:ひのまどか ヨリ