2017/05/13 (土) | 栄光と賞賛の日々
(十二) | 五週間のナポリ滞在を切り上げた親子は、二十七時間でローマに着くという二輪の急行馬車を使ったが、ローマの手前で大事故にあってしまった。 御者のムチの入れ方が悪かったため馬が棒立ちになり、それに引かれて馬車は砂煙を上げながら横転したのだった。 「あぶない!ヴォルフガング!」 この時もレオポルトは、本能的に息子が馬車から放り出されないように抱きとめ、かわりに自分の右足を鉄軸に激しくぶつけて、すね肉を十センチ近くも裂いてしまった。 レオポルトは激痛に耐えながら、持っていた白軟膏と包帯で応急手当をしたが、足は次の日から倍以上にふくれあがって、寝たきりの状態となってしまった。 「まったくしゃくにさわる。これではローマに予定以上ぐずぐずしていなくてはならない」 レオポルトは焦ったが、しかしこのローまで、ヴォルフガングは思いもかけぬ栄誉にあずかったのだ。 ローマ教皇クレメンス十四世から、黄金拍車勲章を贈られたのだ。 七月五日にクィリナーレ宮殿で、教皇の代理のパラヴィッチーニ枢機卿から、勲章と剣と拍車を授けられたヴォルフガングは、その時からみんなに、 「シニョール・カヴァリエーレ
(騎士殿) 」 と呼ばれるようになった。 勲章につけられた勅書には教皇のサインとともに、これがヴォルフガングのクラヴィア演奏のこの上もなく優れた腕前に対して与えられた、教皇及び教皇庁の敬意のしるしである、という文面が格調高く記されてあった。 「この黄金拍車勲章は、これまで音楽家では、ルネサンスの巨匠オルランド・ディ・ラッソただ一人にしか贈られていません。あなたがいかに優れた才能をお持ちかを、今後この勲章が証明することになるのです」 パラヴィッチーニ枢機卿から
「騎士殿」 と話しかけられ祝福を受ける息子を見て、レオポルトは嬉しさに思わず笑い出してしまうのだった。 栄誉はこれ一つにとどまらなかった。 再び訪れたボローニャで
「音楽の神さま」 マルティーニ神父のもとに毎日通い、 「対位法」 の作曲技術をきわめたヴォルフガングは、神父の特別の計らいで、音楽家にとっての最高の名誉であるボリーニャ楽友協会の会員になるための試験を受け、満場一致で入会を認められた。 『いかに優れていても会員に選ばれる資格は二十歳以上と聞けば、おまえも十四歳のヴォルフガングに入会がどれほど例外的なことかわかるでしょう』 ザルツブルクの妻に送るレオポルトの手紙には、連日のようにヴォルフガングに与えられる栄誉の話題が誇らしげに書き連ねてあった。 少年をわが子のように愛したマルティーニ神父は、さらにヴォルフガングのために自筆の証明書まで書いてくれた。 『当年十四歳のザルツブルクのアマデーオ・ヴォルフガンゴ・モーツァルト騎士は、音楽のあらゆる分野において非常に優れており、特別の称賛に値することをここに保証するものである』 マルティーニ神父の全ヨーロッパ楽界に通用する証明書。 ボローニャの最も権威ある
「楽友協会会員証」 。 さらにルネサンス以来どの国の音楽家も手にしていない 「黄金拍車勲章」 。 それらを十四歳のヴォルフガングはひとりで手に入れたのだ。 少年は見た目には、まだまだ子供っぽく天真爛漫だったが、そんほとぼしる天賦の才は彼がすでに完成された芸術家であることを示していた。 今こそ全力を挙げて、オペラの作曲にとりかかる時だった。 ボローニャに届いたオペラ台本
《ポントの王ミトリダーテ》 を前にして、親子は武者震いしながら真剣に作曲計画をねるのだった。 |
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| 『モーツァルト』 著:ひのまどか
ヨリ | |