2017/02/07 (火) | シュトゥットガルト | 1831年九月八日のワルシャワ占領を、中継地のシュトゥットガルトで知ったショパンは、いっきに奈落の底に落とされてしまった。 気分の高揚と落ち込み、この激しい落差をショパンはこれまでも、そしてこれからも何度も経験していく。落ち込みの原因はいつも故郷と深くかかわる。このシュトゥットガルトで体験した思いは、ショパンの性格に深い影を落としたようだ。 祖国への思いにとらわれた苦しさを、シュトゥットガルトでは心の底から絞り出すように手元にあるノートに書き連ねた。それは愛するものたちを思い出して、抑えようのない懐かしさ、いとおしさに深く感じる自分を確認しながら、しかし彼らと永遠に決別しなければならないよいう慟哭である。 「父よ、母よ、私の大切なものたちよ、みんなどこにいるのだ。死んでしまったのだろうか」
と、ショパンは遥か遠い故郷に思いをはせた。 「涙。久しく出なかった涙が出る。殺伐とした憂鬱にさいなまれているばかりだったから。涙を出すなどという感情など湧かなかった。ああ、ああ、あんという思いだ。故郷が思い出されてならない。懐かしい」。
さらに自分の心が死んだと書く。それは孤独だから、一人だから、自分の感情が一人でいるために動かなくなったから、一人でいることにもうほとんど耐えられないから、自分の心は死んだと考える。それでもその死んだ心が、故郷のみんなのことを考えると、胸が張り裂けそうになる。あまりに懐かしくて感情が激しく波立つ。だから涙がとめどもなく流れると言いたいのだろう。心配でいてもたってもいられない。
「自分はどうして一人のロシア人さえ殺せないのか」。家族も友人もすべてロシア人の手に落ちたかも知れないのに、姉妹もコンスタンツヤもロシア人の餌食にされたかも知れないのに、母は殺され、父は絶望しているかも知れないのに、自分は異国でため息をついているしかない。 作品101の12の練習曲、俗称
<革命> がこの頃作られたと言われているが、たしかにショパンのアルバムに残る言葉はこの練習曲の激しく狂おしいほどのうねりの音楽と、あまりにも重なる。 故郷への強い思いを胸の奥深くにしまいこんで、ショパンは九月末、秋深くなるパリに到着した。 |
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| 『ショパン』 著:小阪
裕子 ヨリ | |