〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-]』 〜 〜
== Fryderyk Franciszgk Chopin ==
(著:小阪 裕子)

2017/02/06 (月) 

ウィーンでの暮らし

ふたたびウィーン時代のショパンに戻ると、前述したようにマトゥシンスキに寂しさを訴えながらも、しかし毎日に変化がないわけではない。朝は下男に起こされ、コーヒーを飲む、そして九時からドイツ語の教師が来る、と手紙にある。ショパンの日常はそれからもけっこう忙しい。勉強が終わるとピアノに向かい、フンメルの息子が来たり、ニデツキが来たりで、人の出入りが多い。昼は誘われて外で食べ、その後、コーヒーをカフェで飲む。そして招待された家へ、いったん帰宅して服、髪を整え、夜会用の靴に履き替えて、パーティ。夜中になって帰って来たらまたピアノに向かう、とある。
ウィーンでのこのような八ヶ月間、演奏会もせずに一人でいたことで、ショパンは作曲家としての自分を考えるようになっていた。心の中で渦巻いている気持をピアノにぶつけるしかないと手紙にある。
このころ、祖国ワルシャワはどうなっていたのだろうか。
1830年十一月の蜂起では、アダム・チャルトリスキ公らが革命政府を率い、各国に独立を宣言した。しかし同意を得られずに、結局、翌年九月にロシアがワルシャワを占拠して、革命に加わった人々はパリへ向かい亡命を求め、ティトゥスは故郷ポトゥジンの領地管理の仕事に戻った。
このころ、ショパンが師エルネルスに宛てた手紙では、自分がウィーンで演奏会を開かないのは、祖国の出来事に心を痛めているからではなくて、ピアノ演奏会がどれも月並みなものばかりで、ウィーンの人々が興味を失っていることと、ワルシャワ蜂起がポーランド人である自分の立場を悪くしているからだ、と書いている。
ウィーンで演奏家として活動できない。ウィーンの人々の冷たい反応、それがショパンの愛国心をいっそうかきたてることになったのは疑いない。意気消沈しているショパンに、エルスネルやヴィトフィツキから、ポーランドのために使うようにと励ます手紙が届いた。
愛国詩人ヴィトフィツキは1831年七月の手紙に、 「ポーランド・オペラの創造者に」 と書き、ショパンの気持を鼓舞しようとしている。国民的感情を歌い上げるオペラを作るために、その才能を発揮してほしい。気候に違いがあるように、それぞれの国には独自の旋律がある。山、森、河がそれぞれの声を持っているからで、しかしそれを聴き取れる人はめったにない。スラヴのオペラが作られたら、それが音楽の世界で光輝くことになる、とヴィトフィツキはショパンに熱く語りかける。
ショパンが作品番号のある <マルズカ> を、本格的に手がけたのはこのウィーン時代だ。作品六と七、音色がそれまでになく複雑になり、土臭い農民の踊りを思い起こさせるものから、憂鬱にさいなまれているかのような抑圧された情熱を感じさせるものまで、マルズカを表情豊かに並べた。
エルスネルやヴィトフィツキにいわれなくても、ウィーンでショパンはポーランドの血を色濃く受け継ぐ芸術家である自分を、強く確認したのではないだろうか。
同国人への偏愛、または自分を大切にしてくれる人への執着、あるいは貴族社会に生きることへの好みもはっきりと示されるようになってきた。ウィーンでショパンはマルファッティ家に招かれることを素直に喜んだ。家族への手紙に、ナルファッティは夫婦でショパンを温かく迎え、そこで出されるスープはまるで最良の薬のように、自分に効果がある、と書いている。学友のトマシュ・ニデツキと親しく交際し、すばらしいチェコのヴァイオリニスト、トゼフ・スラヴィク、そしてチェリストのヨゼフ・メルクとの時間を大切にした。
多くの人を集める音楽会の開催は、ショパン自身の力では不可能でも、優雅な人々、洗練を愛する人々は自分のサロンに彼を招くことを楽しみとしていた。そこで演奏をすることは、一人でいるのが寂しくてしかたがないショパンの日々に変化を与え、美しい色彩と香り、洒落た会話の時間を与えてくれるものとして、ショパンの自尊心をくすぐった。
しかし、ウィーンの音楽界はショパンの存在を無視していた。だんだんやる気が失せて、 「音楽でさえ今日はぼくを元気にしない」 とマトゥシンスキに書いている。ワルシャワの演奏会で得た収入も減り、父親からの仕送りに頼る日々をショパンは情けなく思うようになっていた。1831年四月レドウテンホールの慈善演奏会に出演、次に六月にケルントナトーア劇場演奏会でバレエと共演した。しかし、ショパンはまったくおもしろくなかった。観客の入りは悪く、これらの演奏会での収入はまったくなかった。 『アルゲマイナー・テアルト・ツァイトゥング』 に出た <ピアノ協奏曲> ホ短調の演奏批評も気に入らず、ショパンはウィーンのすべてに失望した。

『ショパン』 著:小阪 裕子 ヨリ
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