日進では酒は出なかったが、敷島では酒が出た。 艦長の寺垣猪三が私費で買っておいた四斗樽
で、掃除、入浴、そして着更が終わったあと、寺垣は上甲板に総員を集め、その樽をひらいて訣別けつべつ
の酒杯をあげた。 寺垣のいう訣別とは、 「敷島は敵とともに沈むだろう」 という彼のことばに続いて言われた言葉である。 寺垣のいうところでは、この戦いは勝敗が五分々々というようではとても大戦略からいって間に合わない。要請されているところは敵艦を一隻残らず撃滅してしまうことであり、そのためにずいぶん無理な戦いく
さもしなければならない。たとえば小口径の大砲もぜんぶ使いたい。そのためには敵艦にうんと近づかなければならぬ、そうなれば刺し違えの状況も出てくる。従って互いに生きて勝利の喜びを分かち合うことも出来なくなるかも知れず、だから戦闘に先立って今生こんじょう
の別れの杯を汲みかわすのである、ということであった。 寺垣は、各階級から一人ずつの代表を出させて訣別の杯を汲みあった。まず兵の代表が出、次いで下士官、准士官、最後に士官という順である。 艦隊が鎮海湾および加コ水道を出て行くとき、湾の一番奥にいた旗艦三笠は他の艦が動き出してからも、じっとしているかのように見えた。 「あれはおそらく陸上との連絡があって、遅れているのだろう」 と、あわただしく出港して行く各艦の中にあってひとり静まっている三笠の印象について、当時の巡洋艦の乗組員が印象を残している。 かがて旗艦三笠が動きだした。追いついて先頭に立つべく、みるみる速力をあげはじめた。 人びとが艦内をいそがしく駈けまわっていたが、出港にともなうあらゆる作業その他が終わることには、新品の白い戦闘服姿が艦内にふえはじめ、人びとの動きがゆるやかになってきた。 真之は他の幕僚と同様、紺の軍装である。 ただこの男は、軍服の上衣の上に剣帯の革ベルトを巻いて腹を締め上げて艦橋からあらわれた。 その珍妙な姿を見て、若い士官がうつむいて笑いを噛か
み殺したが、真之は知らぬ顔でいた。 「褌論ふんどしろん
」 というのが、真之の持論であった。彼は褌の文字が衣ヘンに軍と書くのは臍下丹田せいかたんでんをひきしめて胆力を発揮するためのもので、戦はそれで臨まねばならぬ、とかねがね言っていたが、剣帯のベルトを褌がわりにして出て来ようとは、たれの目にも意外だった。 東郷は端正な服装を好んだ。真之のこの異装を見て、めったに感情を外に表わさない彼が、さすがにいやな顔をした。しかし真之は知らぬ顔でいた。この男はやはり相当な変物へんぶつ
だったようである。 |