日本政府は、戦争を恐れた。ロシアへの恐怖が、対露交渉のテンポをゆるやかにしていたし、それが国民一般の目にはロシアに対する哀願的態度に映った。 世論は好戦的であった。 ほとんどの新聞が四面をあげて開戦熱をあおりたて、わずかに戦争否定の思想を持つ平民新聞が対露戦に反対し、ほかに二つばかり政府の御用新聞だけが慎重論を掲げているだけであった。 このころ、桂首相や大山巌、あるいは伊藤博文のもとに各界の代表と称する人物が開戦の決断を迫るべくしばしば訪れて来た。 「今日は馬鹿が七人来おったわい」 と、あとでその次男大山柏
にこぼしたのは大山巌である。 伊藤博文は、 「私が今ほしいのは諸君等の名論卓説ではない。大砲と金に相談しているのだ」 と、答えた。桂首相は、政府の決断を迫りに来た七人の帝大教授に対し、 「失礼だが、私はみなさんから軍事上のお話を聞こうとは思わない。私はこれでも軍人あがりであることをお忘れなく」 と、答えた。 野や
は、開戦論でわきかえるようなさわぎで、その種の集会がほうぼうで持たれた。 海軍大臣の山本権兵衛が、いったい戦争をする気があるのかどうか、海軍省にいる高級将校ですら見当がつかなかった。 海軍内部のそういう連中が、 「ホカケブネはいったいどうなのか」 ろ、手分けしてさぐりあったが、見当がつかない。ホカケブネとは、山本権兵衛が決裁のサインをするとき、印鑑は使わず花押かおう
をかく。そのかたちが帆掛け舟に似ているのである。 一案が出た。 戦争となれば、軍艦の燃料である石炭が大量に必要である。それも良質の無煙炭でなければならず、それにはイギリスの石炭がもっともよいとされていた。ふつう、英炭といった。 それを九十万トン買付けるという案を内部でつくった。その購入案に山本権兵衛がホカケブネの花押を書けば開戦の肚があるとみtりい。 次官の斉藤実まこと
がそれを書類にして持って行った。権兵衛はじっと見ていたが、やがて、 「金はあるか」 と、斉藤に聞いた。斉藤が、 「今はございませんが、英国の会社の方では支払いは新年度でもかまわないと申しております」 と答えると、権兵衛は無言で筆をとり、くるくるとホカケブネを書いた。 これで、内部でもやっと分かった。 もっともこの英炭の大量買付けはたちまち炭価を暴騰させ、ロンドン市民の台所をおびやかしたばかりか、各国が日本の開戦の決意を知るもとになった。 |