ロシア皇帝が、策士ベゾブラゾフの献策によって設立したのは、 「東亜工業会社」 という会社である。満州は軍が奪
る、朝鮮は東亜工業会社が奪
る、といったふうにその侵略作業が分担された。 会社が出来たのは明治三十四年だが、その前年においてすでに朝鮮に商人をよそおった軍人を派遣し、軍事地理や経済地理の調査をし、その年の五月、駐韓公使パヴロフをして土地の租借
を韓国政府に申し入れさせ、成功している。 朝鮮においてロシアが租借した土地は馬山浦
に近い粟九味 という所で、ここに四〇九エーカーの土地を租借し、さらにその付近の巨済島
を他国に貸さぬという約束を取り付けた。ゆくゆくは巨済島をもロシアの領有にするつもりであった。 このあたり、つまり馬山沿岸と巨済島とは鎮海湾を抱いて天然の良港をなし、日本の対馬へは短距離にあり、ここにもし軍港が出来、要塞が出来、ロシアの艦隊を収容するとすれば、日本はその軍事上の恐怖で飛び上がらねばならない。 さらにロシアは、東亜工業会社の名義のもとに、北朝鮮鴨緑江河口の竜巌浦
港を根拠地とし、ここで盛大な森林事業をはじめた。 すべてこういう仕事は、皇帝の寵臣ベゾブラゾフ退役大尉が主宰した。ベゾブラゾフの妻は美人で教養があった
── とウィッテは言う。その妻が亭主が皇帝に取り入ってこれだけの大仕事をしているということをあとで知り、驚いて、 「私にはさっぱり分からない。あの半物狂いのような人間が、宮廷のみなさんにはなぜわからないのかしら」 と言ったという。 その妻の言う半物狂いは、 「組織的に段階を追って朝鮮を占領するのである」 と、常に言い、皇帝にも説き、皇帝をその気にさせた。 極東
(中国・朝鮮・日本) に関するかぎり、ベゾブラゾフの権能は無限に近かった。 いや、いま一人極東に関するかぎり無限に近い権能を持つ人間がいる。 関東州総督アレクセーエフである。この人物はベゾブラゾフの献策で地位を大きく引き上げられて、極東総督という新設の職についた。バイカル湖から東全部の軍事と行政を独断専行いs得る大職で、一方、清国、朝鮮、日本に対する外交上の専断権を持った。 外務大臣を通さなくてもいいということになっていたから、極東におけるロシア皇帝の完全な分身として彼は旅順に常駐した。 一方、常識派のウィッテはこの時期に皇帝に遠ざけられ、政界から没落している。ベゾブラゾフの工作によるものとされた。 「中世がもう一度来たような、時代遅れの冒険主義」 と、ウィッテがののしったように、ロシア皇帝がまるでジンギス汗のような、とほうもない冒険に向かって本格的に乗り出したのは、このアレクセーエフとベゾブラゾフの二本立ての極東体制が確立したからである。 |