いくたびかの時鳥
の声が翔か ける。なぜか、今夜は胸にひびく。 四月九日夜。夜は深い。 いまし方、嫡子仲綱一人だけを連れて、御所の一殿はえ通った頼政は、 「しばらく、お控えを」 と、言われるままに、寂として、すわっていた。 奥との通いにも、その間の話し相手にも、姿を見せたのは、相そう
ノ少納言しょうなごん 惟長これなが
だけだった。 「宮には、けさ、斎戒沐浴さいかいもくよく
あそばして後、昼は、御祈念に籠こも
られ、夜にはいっては、御一室をとじられたまま、何か御浄書のようでございました」 惟長は、そう言った。 令旨りょうじ
。 その重大なものの御浄書であろう。推敲すいこう
であろう、筆に心血をそそいでおられる宮のお姿が、頼政には。眼に浮かんで来る。 「まだ、新宮十郎行家も参りあわさぬ様子。どうか、宮には、お急ぎなきように」 頼政は子の仲綱とともに、なお控えていた。 半簾はんれん
を掲げたそこの灯影は、欄下へこぼれて、池の面も
の端を、真っ青に照らし出していた。かきつばたの花であろう、紫はいや深く、白いはいや白く、そこここに浮いて見える。 ふと、その辺で、蛙かわず
が啼な いた。 蛙たちが
── まだ稚い蛙たちまでが ── 七十七にもなる老翁の愚を、あざ嘲わら
うかのように、頼政には聞こえた。 今も今とて、彼は、心のうちで、 「この、かきつばたの紫や白さを、来年は見ることもあるまい」 などと、ひとり思いふけっていた。 では、勝算はないのか。いや、勝算もなく起つほど無分別な彼ではない。 ただ彼一個の感慨である。七十七の終局は、 「ことし、治承四年を越えることはない」 と、密ひそ
かに期しているだけなのだ。 「思えば久しい辛抱の生涯ではあった。やれやれ、ようやく、忍にん
の一字とも袂たもと を分かつ時が来たわえ」 平治の一戦には、裏切り者とののしられ、六波羅に随身の後は、犬四位よとあだ名され、道を行けば、牛の草鞋わらじ
、家に籠れば、石つぶてを投げられたりの辱がずかし
めにも、われながら、よく耐えて来たと思う。 「今こそ、忍にん
とも別れよ、嘲わら わば嘲え、蛙ども」 彼も、自嘲じちょう
をふくんだ。 さばさばと、初夏の深夜は、肌心地がいい。 「余命、わし一個は、いくばくもあるまい。しかし源氏は若い。わしは死のうが、源氏は死なぬ。それでよいのだ。わしの接木つぎき
の役はすむ |