どこへ。──
といううちに、やがて、三条高倉の暗い辻を横へ曲がった。いつも鬱蒼
として、この辺は暗い。木立の下の高築土たかついじ
は、以仁王もちひとおう の御所である。 「兼綱、兼綱」 駒を降りると、頼政が言った。 「夜明けぬうちに、事終わろう、外の見張り、申し付けたぞ」 「はっ。お案じなく」 仲綱も、また、 「弟、くれぐれ、抜かるまいぞ」 念を押しながら、老父の影について、門の内へ、すっと、消えた。 兼綱は、あとに残って、 「唱は、西門へ立て、競は、裏の雑人門へ」 と、それぞれへ手配をいいつけ、御所のまわりを、物蔭に居て、見張っていた。 すると、半刻はんとき
もたたないうちに、またも、ここの木暗がりをうかがいながら、ただ一人で、表御門の潜りへ近づこうとした男がある。 男は、跛行びっこ
だった。 歩くたびに、左に肩を落しぎみに、ちんばの片足をひいていた。 兼綱はすぐ 「怪し」 と見、 「やわか、見のがすべき」 とばかり、物蔭から躍り出て、 「何者ぞ、どこへ参る」 と、男の前に立ちふさがった。 跛行は、ぎょっとしたらしい。反射的に、身構えをもち、手は、太刀の柄をにぎっていた。──
眉深まぶか に頭巾はしていたが、物ごし、服装、一かどらしい武者だった。 「わぬしこそ、どこのたれぞ」 武者は、あべこべに、兼綱をしかりつけた。そして噪さわ
ぐ容子ようす もなく言い払った。 「八条女院に仕うる蔵人くろうど
の仲宗を知らぬ下臈げろう は、よも、当御所の仕え人ではあるまい。おのれは、なにやつか」 「あっ・・・・もしや、あなたは」 「なにっ」 「仲宗殿ではありますまい、蔵人くろうど
の仲宗なら見知っております。それとは、御別人の・・・・」 「そう申さるる御辺は、近衛河原の者か」 「そうです、三位頼政の二男」 「や、兼綱よな」 「では、あなたは、新宮十郎行家殿でございましょうが」 「そうだ、いや、驚かせたのう」 「父も父です。あとより行家殿が見えると、いいおいてくれれば、かような慮外りょうがい
はいたしませぬものを」 「いや、そちらの御失念ではない。こよいは、頼政殿より先に御所へ参って、お待ち申すという約束だった。障さわ
りがあって、思わぬ遅刻。落度は、わが身よ。── して、頼政殿には」 「つい、今しがたに、兄仲綱とともに」 「行家はいかにせしと、さだめし、眉をひそめておられよう。やれ許し給え、それがしこそ率爾そつじ
な申した」 行家は詫びて、そこの門の扉とびら
を、啄木きつつき のように、コツコツとたたいた。 内から、門が半分開いた。不自由な片足を、ひょこひょこひいて、すぐ門内へかくれて行った行家の影をながめ、兼綱は、やっと思い出していた。 去年の秋。 七条佐女さめ
牛うし の刑場で、痛手を負い、伊香立いかだち
の砦で、しばらく病み臥ふ していたという十郎行家の消息を、兄仲綱から、聞いていた。 その後
── 伊香立を焼き払って、竹生島へ退いたとの消息もあったが、九郎義経が、京を去って、みちのくの遠くへ帰った後は、十郎行家も、故郷、熊野の新宮へ帰国し、この正月は、あたたかな紀南で久しぶりに春を迎えた
── とも、兄へよこした便りに見えた。 「こよいのため、はるばる、熊野から上って来られたものであろう。船も馬もありとはいえ、さても、あの跛行では、難儀な旅であったろうに」 兼綱は、そんな後味あとあじ
をもった。そしてまた元のように、袖塀そでへい
の蔭へ、身をひそめた。 いやに、生暖かな初夏の夜半だった。風は南とみえ、深夜の大屋根を、吹き乾から
びさせ、蒸れ匂う満庭の若葉も、ただ真っ黒な波騒なみざ
いに似て、以仁王もちひとおう
のお居間のあたり、垂れ込めた御簾みす
の裡うち にだけ、みじか夜の灯が幾点か、荒海わだつみ
の漁いさ り火び
みたいに、揺らめき揺らめき、更ふ
けていた。 後に思えば、客を中心に、この夜、密かに寄った頼政たちの運命を、その灯は、象徴していたものだった。 |