〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-W 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (六) ──
御 産 の 巻

2013/07/26 (金) めい   げん (四)

ここに、法皇と清盛との間に、些細ささい な事ではあるが、両者の日ごろの感情を、露骨にしかけた小事件がもう起こっている。
「ほっとしたぞよ。めでたい」
満悦まんえつ のおことばを繰り返しながら、法皇が、いざ、還御とみえたときである。
余りのうれしまぎれ ── というものであったろうか。清盛は、立ち際のお袖をひかえて、
「およろこび けに」
と。砂金一千両、富士郡の綿二千両 (十六両で一斤とする) を、献上に供えた。
ところが、これははなはだ法皇の御意に添わないらしかった。法皇はじろと、清盛へ一べん をくれて、
ちん へか」
と、わざと、とぼけたようなつぶやきを、お口の端にもらされたから、あたりの大臣たちを見まわして、苦々にがにが と、笑いまじりに仰っっしゃった。
「諸山の僧侶そうりょ なみに、朕へも、相国より施物せもつ あるとか。ははは、朕はこの後、祈祷師となって生活たつき を立ててゆけそうだのう」
痛烈なお皮肉である。
関白以下、平家に、こころよ くない大臣たちは、 「かかるおりに、しかるべからず ──」 といったような眼咎めとが めをそろえて、みな、清盛を冷やかに見、法皇のみけしきに同調した。
喜びの有頂天を、一蹴いっしゅう の下に覚まされたような清盛の顔つきだった。たった今の今まで、中宮の御産ごさん を、あのように案じておられた法皇とは、まったく、べつなお人みたいに、仰がれた。
が、彼にも、法皇のお心が分からないことはない。自分が余りに自己をつつまなかったのが愚だったと悔やまれる。人の意中を読むことに慧敏けいびん なる君が、早くも 「ばかよろこびをすな」 と暗にしかりつけ、 「早いぞ、よろこ ぶには」 と釘を一本、この清盛の頭上に打ったものだとはすぐさと れた。
清盛にとって、これは痛かったに違いない。その傷痕は、彼の頭蓋骨ずがいこつ にある亀裂きれつ を生じていたかも知れない。── さしも、歓びの日であったが、清盛の顔色だけは、怏々おうおう として、この日の空のようには晴れなかった。
とかく、こんな時には、変なこともありがちだった。
古来の習慣で、お后が御産ごさん のときは、御殿の大屋根へ人が登って、“こしき の御儀” ということが行われる。── こしき というのは、飯をかしつぼ のような土器である。── 舎人がそれを持って、屋上へ上り、皇女が生まれたときは、屋根の北側の方へまろ ばして落す。また、皇子が誕生の場合は、南へ落すのが、例であった。
ところが、屋根へ上った者が、どう勘違いしたものか、北へ、こしき をころがしてしまった。
「あっ、ちがう」
「北ではない」
「南よ、皇子ぞよ」
下では、公卿、侍、修験者などが、あわてて、いいさわ いだが、間に合うはずもない。甑は、ころころと、北側の屋根へ落ちて砕けた。
笑ってはいけないと思いながら、みな手を打って、どっと笑う。
ぜひなく、これは、やり直しということになった。
また、同じ朝、千度のおはら いをする陰陽師のひとりが、物につまずいて、冠を飛ばし、もとどり をむき出して、せっかくの儀式を、笑い事にしてしまったとか、また、まだ未明のころ、五条橋を、平家の不吉を暗示するような童歌をうた って駈け抜けた奇妙な朱儒こびと があったとか ── いろいろ流言めいた取沙汰が、やたら、この二、三日、言い伝えられた。
いったい、たれが言いふらすのか、わからない。
根なし草もあろう、ほんともあろう、けれど、よろこびを一門に占めて、繁栄の極まる所に、こういう陰の声が生じるのは、人界の自然である、たれが言わせるものとも言えない。
だが、この日、この地上へお生まれになった玉のごとき皇子にとっては、なんのおかかりあいもないことである。
中宮のお日立ちもよく、皇子もくりくりとおすこやかに、乳人の乳にすがられた。
皇子、おん名は言仁ときひと 、やがての安徳天皇は、この御子みこ である。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ