「・・・・お。あれは、院のお姿か」 ふと見ると、そのとき、法皇には、御産所のすぐ間近まで来て、中宮の黒髪や、真白い御産褥
の端さえ見える錦帳きんちょう
の前に御座ぎょざ をすえ、千手せんじゅ
陀羅尼だらに 経きょう
一巻を、高らかに誦よ み上げておられるのだった。 「あら、勿体もったい
なや」 と、二位ノ尼も、法皇の後しりえ
にすわって、ともども、陀羅尼経をとなえた。またそれを見た護摩陣ごまじん
の修験者や祈祷の千僧どもも、一せいに祈念を凝こ
らし、今や不可思議な心理と光景が煙りたつ全屋ぜんおく
をくるみ、それは繊金きりがね
で描かれた浄土曼陀羅じょうどまんだら
の図、そのままに見えた。 すると、寅とら
ノ刻 (午前四時) を少しすぎたころ。 御産褥のわきの間から、つと起ちあがって来た中宮亮ちゅうぐうのすけ
重衡しげひら (徳子の兄)
が、 「── ただいま、御産ごさん
は平安に、御産平安のうちに」 緊張した声に、ふるえをかすらせ、四面へ向かって、なお一倍、声高らかに、二度ほど、 「皇子御誕生。── 皇子御誕生に候うぞ」 と、告げた。 「おう、おうっ。・・・・皇子とや」 「皇子とぞ」 法皇を初め、関白、諸大臣以下、宿直とのい
の端から、修法の千僧まで、どよめくばかり祝ほ
ぎはやす中に、清盛は、二位ノ尼と手を取りあって、よろこび泣きに、泣いたという。 すぐ、産湯うぶゆ
の御式ぎょしき 。── 呱々ここ
のおん声。 そして、御几帳みきちょう
のあたりから白々と、玉をとくような湯気がゆるい渦をながしてくる。そのとき東の大廂を、ちかっと、旭日あさひ
が染め、はね返してくる燦きら
めきに、それが虹色にじいろ となって、御簾を煙らせた。 また、そのあいだには。 小松内府重盛が、すぐ鳴弦めいげん
の式に立っていた。五位十人、六位十人の弓手が、天地四方へ向かって、弦つる
を鳴らし、古式どおりに 「天をもっては父とし、地をもっては母とさだめ給うべし。おん命は、東方朔とうほうさく
が仙寿さんじゅ にあやからせ給い、御心には、天照大神入れかわらせ給え
──」 と、誦文じゅもん するのであった。 そのほか、御式の次第は、いちいち書きつくせない。 すぐ、おん乳人めのと
の任命もある。 さきの右大将宗盛卿の北の方 ── と初めはうわさにのぼっていたが、この朝、発表された名は、平大納言時忠の北の方 “師そつ
の局つぼね ” であった。 また、法皇には、ただちに、関白以下の諸大臣に詔して、 非常の大赦 を、行わしめた。 |