〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part �U-�V 』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (四) ──
石 船 の 巻
2013/06/26 (水) 経(きよう) ケ 島(しま) 由(ゆ) 来(らい) (四)

「なぜ、主君を見て、逃げたか」
という調べに対して、松王の答えた言葉から、その夜、意外な事実が、清盛の耳にはいった。
松王は、数日前に、都賀(とが) の里の、母のもとへ、帰っていた。
その日、雪ノ御所へ帰るために、生田(いくた) ノ森まで歩いて来た。すると、行きがけにはなかった関所の柵(さく) が出来ているので、怪しみながら通りかけると、森の蔭から、数名の武者が現れて、彼を捕らえ、
「この道を通ったのは、おまえが仏陀(ぶつだ) から選ばれて、人柱(ひとばしら) になれと、前世から約束されているのだ。後世(ごせ) は、よい月日の下に生まれるぞよ。── 観念して、あれに籠(こも) れ」
と、半(なか) ば腕力で、半ば諭しながら、一宇(いちう) の御堂のうちに、放り込んでしまった。
そこには、松王のほかに、まだたくさんな同じ年ごろの童(わっぱ) が、うようよいて、
「帰して給べ。帰して給べ」
と、泣きわめいていた。
番の武者は、格子の外から、
「泣いたとて、帰しはせぬ。なむあみだぶつと、念仏をとなえろ。後世(ごせ) を願って、ただ念仏を申しておれ」
と、ときどき、菓子などを入れてくれた。
けれど、どんな食べ物も、見向きする子はいない。童(わらべ) たちは皆、やがて、石船に乗せられて、築港の石とともに、人柱(ひとばしら) として、沈められるのだということを、いい聞かされていたからである。
松王も一たんは仰天したが、ひとつの嘘(うそ) を思いついた。嘘には違いないが、それは先月にはほんとのことでもあったので、非常にうまく言えたし、また、事実、雪ノ御所の侍童には違いないので、言うことに間違いはなかった。
「やいやい。わしを捕まえて、人柱に立てるなら、その前に、寺戸の山荘へ行って、五条那綱(くにつな) 様と、朱鼻(あけはな) の伴卜(ばんぼく) 様に、よく念を押して来いよ。わしは、入道相国の侍童、松王という者だぞ。そして今日は、雪ノ御所の御用で、寺戸の伴卜様の許へ、お使いに行った帰り途(みち) だぞ、ヘタなまねをして、自分たちがアベコベに人柱になるなよ」
武者たちは、驚いた。
そして、 「このことは、決して口外するな」 という約束の下に、彼のみ、放されて帰って来たというのである。
「・・・・相国のお姿を見て、なぜ逃げたのか、わたくしにも、分かりません。このことをお訴えしようと、必死に思い込んでいたのに、相国がお歩きになって来るのを仰いだら、急に、怖(おそ) ろしくなって、思わず庭へ跳び降りてしまいました」
松王は、そう告げてしまうと、もうふるえてもいなかった
徹宵(てっしょう) の詮議(せんぎ) が始まった。阿波民部、日向太郎が、第一に召し呼ばれた。
二人は、何も知っていない。
技官の野見隼人、橘唐雄(からお) 、久能大造、飛騨多門など、続々、吟味所に呼ばれて糺(ただ) されたが、彼らもまた、
「人柱を立てるなどとは、ゆめ、考えたこともありません」
と、みな言い張る。
そのうちに、分かった。船夫(ふなこ) 千人を預かっている並河(なみかわ) 権六(ごんろく) という六波羅一門の武者頭(むしゃがしら) である。
先ごろ、法皇が法華道場の常住として残して行かれた東大寺の僧侶(そうりょ) が、権六に向かって、
「入道相国は、余りに、罪業が多いお人である。いかほど、築堤を企てようとも、到底、成就はおぼつかない。けれど、ここに三十人の清童(せいどう) を人柱に立て、わしが二十一日の祈願をこめるならば、かならず海龍王(かいりゅうおう) の怒りをなだめて、築堤の礎(もと) を、ゆるぎなくして見せるであろう」
と、語ったという。
その東大寺僧に、深く帰依(きえ) していた並河権六は、これを両奉行に諮(はか) ろうと思ったが、何ぶんにも、この東大寺僧は、法皇をめぐる近臣たちの口吻(こうふん) そのまま、清盛のことといえば、悪しざまに誹(そし) るので、自分一個の念願の下に、二十一日の祈誓をその僧侶といい合わせ、生田ノ森で、人柱(ひとばしら) の子ども狩りを、ひそかに部下にやらせていたものと分かった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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