安元
年間 (1175〜77) の春のころだった。上西門院じょうさいもんいん
が東山ふもとの法勝寺ほっしょうじ
に花見に出かけられたおり、華やかな一行を警護していた平通盛みちもり
は、お供の中にいた小宰相こざいしょう
を一目見て、激しい恋に陥った。小宰相は刑部卿ぎょうぶきょう
藤原憲方のりかた の次女で、このとき十六歳、宮中一の美人として知られていた。 その日以来、通盛は寝ても覚めても小宰相の面影を忘れられず、歌を詠み、文ふみ
を送り続けた。しかし、三年たっても何の音沙汰もない。思い余った通盛は、これで返事がなければあきらめるしかないと最後の文をしたためて、使いの者に届けさせた。 ところが、使いの者は取り次ぎの女房にさえ会えなかった。うちしおれて屋敷に戻っていたとき、運良く、小宰相が実家から御所へと戻る車に出会ったのである。これ幸いと、使いの者は小宰相の車のそばをすっと走るふりをして、通盛の文を簾の中へ投げ入れた。小宰相がそれに気付いてお供の者たちに尋ねたが、皆
「知りません」 と言う。仕方なく文を開けて見ると、通盛からの恋文である。こんなものを都大路に捨てて誰かに見られても困ると思った小宰相は、文を袴はかま
の腰に挟んで御所に戻った。 小宰相が文の事など忘れて宮中で忙しくし立ち働いているうちに、あろうことか、女院の前にぽとりと文を落してしまった。それを拾われた女院が
「珍しいものがありましたよ。これは誰のものかしら」 と女房たちに尋ねられると、小宰相一人が顔を赤らめて口もきけないでいた。 通盛が小宰相に言い寄っていたことをかねてから御存知の女院は、面白がって文を開かれた。香のなつかしい匂いがたちこめて、達者な筆で
「少しもなびいて下さらなかったあなたの強いお気持が、今ではかえって嬉しく思われます」 など細々と書いて、文末に歌が添えてあった。 |
我わが
こひは ほそ谷河の まろ木ばし ふみかへされて ぬるる袖かな |
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私の恋は細谷川の丸木橋のようなものだ。何度も文を返されて袖を泣き濡らしている。この歌をご覧になった女院は
「余りに激しく殿方を拒んでは、かえって仇あだ
となりましょう」 と小野小町の例を引くなどされて、 「どうしても返事しなければなりません」 と小宰相を諭された。そして女院自ら筆を執って、通盛への返歌をしたためられた。 |
ただたのめ ほそ谷河の まろ木橋 ふみかへしては おちざらめやは |
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ただ一筋に思ってください。細谷川の丸木橋も何度も踏み
(文) 返しているうちに落ちないはずはありません。 この女院の図らいによって、通盛は小宰相を我が物とすることが出来たのである。 |