〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part �T-�W』 〜 〜
平 治 物 語 (下)

2012/09/20 (木) 常 葉 六 波 羅 に 参 る 事 (三)

常葉、十六歳より、義朝に取り置かれて、八年(やとせ) の契(ちぎ) りなれば、言ひ捨つる言(こと) の葉(は) までも、誤(あやま) りなること一(ひと) つもなし。常葉、生年(しやうねん) 二十三、九条(くでう) の女院(によゐん) の后(きさき) 立(だ) ちの御時(とき) 、都(みやこ) の中(うち) より、眉目(みめ) よき女を千人揃(そろ) へて、その中(なか) より百人、また、百人が中より十人、すぐり 出(い) だされける。その中にも、常葉は一(いち) とぞ聞(きこ) えける。千人が中の一(いち) なれば、さこそは美(うつく) しかりけめ。異国に聞えし李夫人(りふじん) ・楊貴妃(やうきひ) 、我(わ) が朝(てう) にては小野小町(おののこまち) ・和泉式部(いづみしきぶ) 、これには過ぎじとこそ見えし。楊貴妃が姿を見し人は、百(もも) の媚(こび) をなすと言へり。

常葉は十六歳の時から義朝と縁を結んで、もう八年の仲なので、ちょっとした物言いに至るまで誤りなど一つもない。常葉は生年二十三、九条の女院が立皇后に儀式の時、都の中から器量のよい女性を千人揃えて、その中から百人、なたその百人の中から十人と選び出し、その中でも常葉は第一との評判であった。千人中の第一ということなので、それはもう美しかったことだろう。異国で評判の李夫人・楊貴妃、ひるがえって我が国では小野小町・和泉式部も、この常葉の美しさにはかなわなかったのではあるまいか。楊貴妃の姿を見た人は、たいそうなまめかしかったと言っている。

太宰大弐(だざいのだいに) 清盛は、常葉が姿(かたち) を見たまひてより、由(よし) なき心ぞ移(うつ) られける。清盛、宣ひけるは、 「勅定(ちよくぢやう) にて候へば、大方(おほかた) 執(と) り行ふにてこそ候へ。さればとて、いかでか情(なさ) けなきことは候ふべき」 とて、景綱がもとへ帰されけり。その後(のち) 、常葉のもとへ御文(ふみ) を遣(つかは) されけれども、御返事(おんぺんじ) も申さねば、 「三人の幼(をさな) い者どもを助け置くべし。従はずは、眼の前にて失(うしな) ふべし」 と宣ひければ、常葉、なほ御返事をも申さず。母の尼君(あまぎみ) 言ひけるは、 「幼(をさな) い人々、尼が命を助けんと思はば、仰(おほ) せに従ふべし」 と、様々(さまざま) に言ふあひだ、 さすが幼(をさな) い人々の命も惜(を) しく、母の命(めい) をも背(そむ) きがたし」 と思へば、御返事申して、敵(かたき) の命(めい) にぞ従ひける。侍(さぶらひ) ども申しけるは、 「一人(いちにん) 二人(ににん) も候はず、敵(かたき) の子供三人まで助けたまひ候はんこと、いかが候ふべき」 と申しければ、清盛、 「池禅尼(いけのぜんに) の避(さ) りがたく宣へば、頼朝(よりとも) を助け置くに、それよりも幼(をさな) い者どもを失はんこと、不便(ふびん) に思(おぼ) ゆるぞ」 と、中々(なかなか) しげにぞ宣ひける。 「人(ひと) 木石(ぼくせき) にあらず。しかじ、傾城(けいせい) の色にあはざらんには」 と、 『文集(もんじふ) 』 の文(もん) なり。道理(ことわり) なりとぞ 思(おぼ) えける。
三人の子供の命(いのち) を助けしは、清水寺観音(せいすいじくわんおん)の御利生(りしやう) といひ、日本一の美人(びじん) たりし故(ゆゑ) なり。眉目(みめ) は幸(さいはひ) いの花とは、かようのことをや申すべき。

太宰大弐清盛は、常葉の姿を見て以来、よくない心が起こった。清盛は、 「勅定であるから、大体は刑を執行するというのが当然のことである。といって、どうして情けないことが出来ようか」 と言って、処刑することなく皆を景綱のもとへ帰した。その後、常葉のもとに清盛からの手紙が届けられたが、返事申し上げることもない。すると清盛は、 「三人の幼い子息たちを助けてやろう。ただし、お前が私に従うというのが条件、もし従わないのなら、お前の目の前で、子供たちを殺してしまうぞ」 と脅しをかけてきたが、常葉はそれでもやはり返事を申しあげない。母の尼君は、 「幼い子供や私の命を助けようと思うのなら、清盛の命令に従ってほしい」 とあれこれ意見したので、常葉も、 「さすがに、幼い子供の命も惜しいし、母の願いにも背きがたい」 と思い直した。そこで、清盛に返事申しあげて、敵の命令に従うことになった。侍どもが、 「一人、二人ならともかく、敵の子供三人までも助けなさるとは、いかがなものでしょうか」 と言ったところ、清盛は、 「池の禅尼が強引に申し出て、頼朝を助けることにしたのに、それより幼い者たちを殺すなんて、あまりにもかわいそうなことであるぞ」 などもっともらしく反論した。 「人は木でもなく石でもない。皆情けを持っている。となると美人に出会わないのが一番」 とは、 『白氏文集』 に載っている文言である。確かに、ここには道理があると思われた。
三人の子供の命を助けたのは、清水寺観音の御利生であり、また、母が日本一の美人であったがためである。容貌がいいのは幸いなものとは、このようなことを言うのであろう。

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
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