〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part �T-�W』 〜 〜
平 治 物 語 (下)

2012/09/14 (金) 悪 源 太 誅 せ ら る る 事 (二)

或(あ) る時、須智が前には飯(いい) を結構(けつかう) して供(そな) へ、悪源太の前には無菜(ぶさい) の飯(いひ) を据(す) ゑたり。須智、つい立ちて、我が前なる飯(いひ) を取りて、悪源太の前に差(さ) し置(お) き、御前にありける無菜の飯(いひ) を取りて、須智、食(しよく) しければ、家主(いへあるじ) の男(おとこ) 、障子(しやうじ) の隙(ひま) よりこれを見て、 「この者は、源氏の郎等(らうどう) と聞く上(うへ) 、悪源太、平家を伺(うかが) ふとて、六波羅、俄(にはか) に騒(さわ) ぎたまふ。後日(ごにち) に聞(きこ) えては悪(あ) しかるべし」 とて、六波羅へ参(まゐ) り、 「かかる事こそ候へ」 と申しければ、 「さては、悪源太にてぞあるらん。 召(め) し捕(と) つて参れ」 とて、難波次郎(なんばのじろう) 経遠(つねとほ) 差(さ) し遣(つか) はす。三百余騎(よき) にて、三条烏丸(からすまる) へ押(お) し寄(よ) せたり。 「悪源太のおはする由(よし) 承(うけたまは) り候ふ。難波次郎経遠、御迎へに参りて候ふ。疾(と) く疾(と) く御出(い) で候へ」 と申しければ、悪源太、袴(はかま) の陵(そば) を取り、石切(いしきり) といふ太刀(たち) を抜(ぬ) いて、大童(おほわらは) になる。 「源(みなもとの) 義平(よしひら) これにあり。見参(げんざん) せん」 とて、走(はし) り出(い) でたまへば、兵(つはもの) 左右(さう) へざつと退(しりぞ) く。面(おもて) に進む者二、三人斬(き) り伏(ふ) せ、築地(ついぢ) の覆(おほひ) に手を懸(か) けて、つつと越え、家伝(いへづた) ひに、何処(いづく) ともなく打(うく) ち失(う) せぬ。須智六郎景純ばかり生捕(いけど) りにして、六波羅へ参り、縁(えん) の際(きは) に引(ひ) つ据(す) ゑたり。清盛、出(い) で向(むか) ひ、宣ひけるは、 「いかに、汝(なんじ) 、当家(たうけ) に奉公して世にあるべき者が、返(かへ) り忠(ちゆう) して斬らるることの不便(ふびん) さよ」 と宣へば、景純、申しけるは、 「源氏は相伝の主(しゆ) なり。源氏の御代(みよ) にならん程(ほど) と存じ知つて、奉公せんと申すを、実(まこと) にして、使(つか) はるる御辺(ごへん) こそ尾籠(をこ) の人なれ」 と申しければ、 「き奴(やつ) 、狼藉(らうぜき) なり」 とて、六条(ろくでう) 河原(がはら) へ引(ひ) き出(い) だし、松浦(まつらの) 太郎重俊(しげとし) 、斬(き) り手(て) にて、斬らんとすれば、須智、言ひけるは、 「景純は、源氏の郎等(らうどう) の末座(ばつざ) なり。平家の大将軍(だいしやうぐん) 清盛(きよもり) を敵(かたき) に承(う) けて死なん命、露塵(つゆちり) とも惜(を) しからじ」 とて、念仏申し、二十三にて斬られけり。惜(を) しまぬ者こそなかりけれ。
さる程(ほど) に、悪源太義平は、大原(おほはら) ・静原(しづはら) ・芹生(せれふ) の里。梅津(むめづ) ・桂(かつら) ・伏見(ふしみ) の方(かた) に、昼は出(い) で、夜は六波羅へ出(い) で、狙(ねら) はれけれども、運(うん) の極(きは) めなれば、すべて隙(ひま) こそなかりけれ

ある時、須智の前にはご馳走を用意し、 悪源太の前にはおかずの品数の少ない飯を置いた。と、須智は、自分の膳にあるご馳走をそのまま 悪源太の前に置き、自分は悪源太の粗末な飯を取って食べていた。かねて奇妙に思っていた宿の主が障子の間からこれをのぞいていて、 「思ったとおり、この者は源氏の郎等と言っていたし、また、 悪源太が平家を狙っているとか、六波羅は近ごろ大騒ぎだ。このまま隠していて、後日ばれたら大変だ」 とばかり六波羅に駆け込み、 「こんなことがあります」 と訴え出たところ、 「さては 悪源太だろう。捕まえて連れて来い」 ということになり、難波次郎経遠を向かわせた。三百余騎で、三条烏丸へ押し寄せた。 「 悪源太がいる由聞き及んだ。難波次郎経遠が迎えに参ったぞ。早く出て来い」 と呼びかけたところ、 悪源太は袴の陵を取り、石切という太刀を抜いて、大童になって戦う。 「これぞ源義平よ、さあ行くぞ」 とわめいて走り出たので、兵はひるんで左右にさっと退いた。面と向かって来る者二、三人を斬り伏せ、築地の覆に手をかけるや、つつと越えて、家伝いにどこともなく姿を消した。須智六郎景純だけを生け捕りにして、六波羅に帰り、縁の際あたりに引き据えた。清盛が姿を現し、 「どうした、お前は。平家に奉公して過ごすべき者が、不届きにも裏切って斬られるなど、かわいそうなことよ」 と呼びかけたところ、景純は、 「源氏のほうこそ相伝の主よ。源氏の天下になるまでの奉公と知っていてあたりまえ。奉公するというのを真に受けて、使う御辺のほうこそうかつ者めが」 と言い返した。 「こいつ、狼藉者よ」 とどなりつけ、六条河原に引き出し、松浦太郎重俊が斬り手として斬ろうとした際、須智は、 「景純は、源氏の郎等の中でも末席の者、それが平家の大将軍清盛の敵として死ぬなど、この上ない面目、命など少しも惜しくない」 と言って、念仏唱え、二十三歳で斬られた。その剛胆なふるまい、いさぎよさ、惜しまぬ者はいまかった。
さて、 悪源太義平は、大原・静原・芹生の里、梅津・桂・伏見の辺りで昼は過ごし、夜になると六波羅辺りに出没して狙ったが、運も尽きたのであろう、まったくつけ入る隙はなかった。

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ
Next