〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
保 元 物 語 (下)

2012/06/10 (日) 為義の北の方身を投げたまふ事 (五)

ころ は七月廿日あまりの事なれば、嵐の山の山風に、川霧かはぎり 深く立ち迷ふ。村雨むらさめ しばしば降りてければ、水のみかさもまさ りつつ、淵瀬ふちせ も更に見え分かず。白浪しらなみ みなぎ り騒ぎけるに、そこ しも深き所にて、やがては続く者もなし。石はたもと に入れたまひぬ。二目ふため とも見えず、水の底に沈みたまひけるこそ悲しけれ。ありとある者、川に走り入りて、尋ね求めけるに、やや久しくありて、はる かの河尻かはじり より取り上げたりけれども、はや、 うふにかひ なき有様ありさま なり。わづか に息のかよ ひけるも、こと てにければ、やがてかしこにてけぶり となし、これをもまた、円覚寺ゑんかくじ にぞ納めてける。 「賢臣けんしん 二君にくん に仕へず、貞女ていぢよ 両夫りやうふまみ えず」 と云ふもん あり。哀れにやさしかりけり。かみ 一人いちにん よりしも 万人ばんにん に至るまで、そでしぼ らぬはなかりけり。

ころは七月二十日過ぎのこと、嵐山の山風は吹き、川霧も深くおおていた。村雨もしばしば降り、川の水かさも増し、淵も瀬もいっこうに見分けがつかない。白浪が激しく波立ち、あいにく、そこは水深い所とて、すぐに続いて助けに向かう者はいない。まして、袂に石を入れなさっている。再び姿をあらわすこともなく、水の底に沈んでしまわれたのは悲しい。その場に居合わせた者は皆川に走り入って探した。しばらくして、ずっと川下の方で、探し当てたが、もはやどうしようもないありさまだった。わずかに通っていた息も絶えてしまったので、直ちにその場で火葬にして、この遺骨もまた円覚寺に納めた。 「賢臣は二君につかえず、貞女は両夫にまみえず」 という文句がある。それにしても、為義の北の方の最後はあわれで、けなげなことである。上は天皇から下万人に至るまで、ありとあらゆる人々は皆涙を流した。

『将門記・陸奥話記・保元物語・平治物語』 発行所:小学館  ヨ リ