『ロシア における 広 瀬 武 夫』 (抜 粋)

島田 謹二:著 ヨ リ

== 第二十章・ 誰 破 相 思 情 ==

ヴィルキッキー少尉をめぐり、敵と味方に別れた二人の武人の運命という話から、本来の筋が外れた。 筆をもどそう。
フォン・ペテルセン家の令嬢マリヤ・オスカロヴナは、日本に帰るという広瀬の挨拶にこたえて、十一月二十五日エカテリニンスカヤ街九十六号の部屋を訪れた。
その時までに集めていた古い切手の見事なコレクションを、別れの記念として差し出した。五百枚でさえ大変なのに、千枚、いや千五百枚をこえている。その集めた一枚一枚に込められた、暖かな心遣いを思うと、頭が下がる。ただの好意などという程度の言葉で言い尽くされるものではない。広瀬はただ感激して、押し頂いた。
「何か記念に差し上げたいのだが」 と言って、彼は窓際の書き物机に進み寄り、何やら黒い、まろいものを取り上げて、マリヤに差し出した。それは、精巧に意匠された鋼鉄の工芸品で、手のひらに乗せるとずしりと重かった。
「古い日本の刀の、それは、鍔というものです。書きものをする時、風が神をさらっていかないように、私はいつも紙の片側をそれで押さえて使ったものです。ふだん大切にしていたものです。」
マリヤは無言のまま大きく頷くと、にぶい光沢を放つ、この異国の記念品を、やさしき撫でてみた、 誰かの手を愛撫するように。ひやりとする鋼鉄の重み。灰色に低くたれこめた今日の雪空を忘れないように、彼女はこの金属の沈痛な重みを、永遠に忘れないだろうと心の中で叫んだ。
マリヤの青い目に、みるみる涙があふれてきた。
「さびしくなりますわ、これからは、オスカルだって、父だって。」
マリヤは両手をさしのべ、広瀬の両手をひしと握りしめた。
雪はまだ降り続いていた。ところどころに灯りがもれはじめた。高層の石造建築の前に馬車が止まった。毛皮のショールに深く顔をうずめたマリヤが、広瀬に手をとられて乗り込んだ。
無量の惜別の思いをこめた青い目が、男の目を見つめた。馬車が走り出した。夕暮れの街路にだんだん遠ざかって行く車のあとを、広瀬は降りしきる雪の中に立ちつくして、いつまでも見送っていた。

露暦1901年12月24日、ペテルセン家のクリスマス前夜祭に、広瀬は出席した。
家族一同と面白くはしゃぎながら遊んでいったが、元旦には、日本海軍将校の代礼服姿で 「おめでとう」 うぃ言いに来た。二日には、彼のための送別会が開かれた。ペテルセン家の心を込めた別離の宴であった。その席上、マリヤの見た広瀬の姿が、彼女の最後に見たヒロセであった。

これから二年後の春二月二十四日、前節に書いた閉塞船 「報国丸」 を目指す港口に沈めて、広瀬は奇跡的に帰ってきた。
しかし、三月の末の七日、第二次閉塞隊の 「福井丸」 を指揮して、これまた目的を果たしたが、その帰り道に旅順港の波狂う港外で、広瀬は知る人も知る壮烈な最期を遂げた。
愛する祖国を守るために大業を果たしただけでなく、愛する部下の生死を案じて、ついに我が身までいけにえにした一代の勇士として、当時の日本人は、礼讃讃美の限りを尽くした。
広瀬の英雄的行為に対する賛嘆の情は、西ヨーロッパ各国も分ち持った。中にもイギリスは、国民全体をあげて感嘆した。祖国を守るために単身戦ったローマの勇士ホラチュース・コクレスのようだと手放しで礼讃してきた人もある。
ドイツなどは、いち早く、広瀬の肖像に漢字で 「旅順口閉塞決死隊隊長、故海軍少佐、広瀬武夫」 と表題し、絵葉書にして売り出したくらいである。

当の交戦相手の国ではあるが、ロシヤでも、ヒロセの壮烈な戦死状況は伝えられた。フォン・ペテルセン家の一同が、この知らせを聞いた時の驚きと嘆きとは思いやられる。なかにもマリヤは、胸つぶれて何日も泣いていた。あれほど立派な誠実な友はいなかったと思う。忘れようとしても忘れられない。ヒロセの追憶は雲のようにわきあがってくる。ヒロセの愛と真実とは、生ける日の如く今もなおそのままである。あんなに立派な高貴な人間は、ヨーロッパ人のうちにだって、そんなに多く発見できるものではない。
父の博士は 「ヒロセ君が!」 といって声をうるませた。骨肉の兄のように慕っていた弟のオスカルなどは、声をあげて慟哭した。
マリヤ自身は一間に引きこもって泣いていた。ヒロセに対しては、暖かい心からの友情を持っていたということだけでは、つくせなかった。あの人とあれほど親しい仲になれたということは、命の続く限り胸踊る思い出なのだ。
言えない。ほんとの気持ちはとても言えない。我が家に来た時のヒロセのくつろぎ方、子供のように邪気のない、明るい態度。ことにクリスマスや新年のとき、我が家の大事な客であった時の顔付き、まるでペテルセン家の家族同様にふるまった無邪気な様子、みんないっしょになって目の前に浮んでくる。
マリヤはヒロセの懐かしい面影に向かって、生きた人間に物言いかけるようにささやいた。
「あなたは、やっぱりほんとに勇士だったのね。あなたがあんなに愛していた祖国のために、あなたは貴いお命を捧げたのね。ヨーロッパなら、 “英雄” というのでしょう。」
思いなしか目の前の亡き人の面影が微笑した。マリヤは続けてささやいた。
「あなたの追憶は、いつまでも生きていくでしょう、歴史の中に、御家族の心の中に、お友達の心の中に、そうして一番深く私の心の中に・・・・・・」

彼女は幾度か稿をあらためて、心のこもった追憶の文を草した。ロシヤ女性の手紙では、日本に受け入れられないから、ドイツ文で書いた。
宛先は、あの写真で懐かしく思った馨子の - - かねて噂に聞いていた母、 - - 兄嫁であった。
相手の日本女性がどういう気持ちで受け取るかは、わからないけれど、ただ彼女と同じ様に女人だということだけを頼みにしたのである。
生き身の広瀬とこの世で逢った最後の日 (露暦1月2日) 、その思い出の記念の日、彼女は泣く泣く心をこめて、その文を浄写した。それを知り合いのドイツ人の手を通じて、思い切って日本に送ってもらった。あわれふかい追悼の玉章だから、原文のままここに書きとめておこう。
━━ 原 文 省 略 ━━
五年近い歳月を送った都だし、こちらの身分も身分だから、公私両面にわたって、帰国の挨拶に赴くべき所は多い。
誰も残念がった。泣き出す子供達もあった。ことに門番の女房が別れを惜しむ真情には胸うたれた。
ちょうど露暦のクリスマスから新年へかけて、 「聖週日 (スヴィヤッキ) 」 のもっとも楽しい時期にあたるので、事務はなななかはかどらぬ。それをおそれて、早めに荷物の託送を頼んでおいたのがよかった。
招待されれば出掛けるし、こちらからも後事を頼んでおきたい人もあるし、忙しい、忙しい。
一月以降二週間以上、日本への手紙は一通も書けなかった。
ただ日数だけはぐんぐんたっていく。とうとうペテルブルグを出立する当日になった。
その日の午前、ほんのわずかばかりの時間をつくって、広瀬はアリアズナと人をまぜずひそかに逢った。
「どんな短いお手紙でも下さいね。あなたのお便りなら、何が書いてあっても嬉しいのよ。いいえ、短い手画にはいけません。あなたのしたこと、考えたこと、感じたこと、途中で出合ったこと、何でもいいから、出来るだけ詳しく、書いてね。私は、燃えるような・・・・・・」
と、ロシヤ語に特有な形容詞をはっきり発音して、
「注意をもって、タケオサンに関係するどんなものにも気をつけています。それだけは、はっきり覚えておいて下さいね。」
と、繰り返してダメをおしたのち、アリアズナはかねて用意していた小型の銀側時計を、広瀬にそっと握らせた。
「蓋が開くでしょう、このイニシャルを見て!」
と指し示すところには 「A」 の字が彫られていた。
「私の名前の頭字だけど、Amor (愛) の意味も含んでいます。いつまでもあなたのお傍において下さい。」
とささやいた。
広瀬はうなずいて、チョッキのポケットにおさめた。
時計のクサリには、彼女の写真を入れたロケットもついていた。
「そのうち行けるわね、ヤポーニャにだって。タケオサンが行ってしまうと、ほんとに寂しいけれど。でも大丈夫。いつまでもお心は私のそばについていて下さるもの。ただ好きとか、ただ尊敬しているとか、そんな程度ではないのです。わたしはほんとうにタケオサンには命をかけています。駅へは行きません。今夜十時に、陰ながらお立ちを見送っています。お国へは行けますわね、そのうち、わたしだって、キット。」
それまで黙って聞いていた広瀬は、この切ない言葉を聞くと、彼女の目を見据えてきっぱりと言った。
「運命が許すならばです・・・・・」
その運命を予感したのか、涙は限りなくアリアズナの両の頬をつたわって流れた。
広瀬は無言でただ彼女をひしと抱きしめた。
熱涙が頬をぬらしていた。広瀬にとっても、アリアズナにとっても、これがこの世における最後の逢瀬であった。

END