〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 
== 小 倉 百 人 一 首 ==

2008/08/13 (水)  小倉百人一首 (風をいたみ)

風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ くだけてものを 思ふころかな
(みなもとの しげ ゆき )
風の烈しさはわが恋心の激しさか
岩うつ波は 砕け散る
うち寄せうち寄せしても
岩はびくとも動かぬ
砕け散る波の姿は あれは ぼく
きみは岩
きみは心を動かしてもくれない
片恋の苦しさに
心砕け 心乱れる
このごろの ぼく
この歌は在原業平 (アリワラノナリヒラ) と同じで、意あまって言葉足らず、一読しただけでは、何の意味かようわからん、というところがある。
しかし、何か訴えたいことがあるらしい、とわかる。どこか、鬱然 (ウツゼン) たる力が籠っている。
これが会話であれば、
「おちついて、もういっぺん、いうて下さい、つまりどういうことですか」
とやさしく持ちかけてやると、やっと本人も心のゆとりができて、
「いや、これは失礼しました、つまり、こうなんです・・・・」
としゃべることができるであろう。ビズネスの話で要件を正確に伝達するのはむつかしくないが、人間心理を説明するのは、かなり会話能力が要る。
この歌も飛躍があるので、すらりと頭へ入りにくい。しかも会話でない上に、千年前の作者にただすことはできない。こちらがようく熟読味読しないといけない。
「風をいたみ」 は、風が激しいために、風がひどいので、というような意味である。 「岩うつ波の おのれのみ」 は、岩は凝然として動きもしないが、波の方が自分からぶつかっていっては返す、そのように私も、・・・・ と、波から自分の姿を引き出しているのであろう。
何べんもこの歌を読んでいると、やっと意味が分かり、一種悽愴美 (セイソウビ) というものに打たれる。朴訥として無口なだけに、かえって心に強い情熱を持っている青年のイメージがある。
調べが美しく、秘めた情熱をよく伝えているので、古来から愛されてきた歌である。 「くだけてものを 思ふころかな」 は 『曾丹集 (ソタンシュウ) 』 にもあるが、思い出される有名な歌には、 『梁塵秘抄』 にある、
「山伏の 腰につけたる 法螺貝の ちやうと落ち ていと破れ くだけて物を思ふころかな」
がいい。ついでにいうと、 『梁塵秘抄』 の歌には近代的でしゃれたセンスの歌が多くて面白い。民衆の好むハヤリウタは、生命力が強い。
この重之の歌は 『詞花 (シカ) 集』 の恋の部に出ていて、詞書に、
「冷泉院 東宮と申しける時 百首歌たてまつりけるによめる」
とある。冷泉院 (レイゼンイン) 東宮時代といえば、天暦四年 (950) から康保 (コウホウ) 四年 (967) 、そのころ源重之は若き帯刀先生 (タテワキセンジョウ) (東宮警備の長) であった。重之の生没年は分からないが、長保 (チョウホウ) 年中 (999〜1003) に亡くなったのではないかといわれている。
重之は清和天皇の皇子、貞元新王の孫にあたる。清和源氏といわれる家すずである。
三十六歌仙の一人で、勅撰集に入った歌は六十六首、 『重之集』 という歌集もある。
それで見ると、重之はずいぶんあちこちへと赴任しているようである。最後は赴任先の陸奥で没している。当時の歌人としては見聞が広かったらしい。ついでに各地の女性とも交渉が会ったらしいが、かの元良親王のように、発散型の恋愛ではなく、みな、しんみりと地味である。赴任先によっては、京に子を置いてゆくこともあり、田舎へ伴う子もあったらしい。
「人の世は 露なりけりと しりぬれば 親子の道に 心おかなむ」
大きくなった子を、陸奥で死なせたりした。
「さもこそは 人におとれる 我ならめ おのが子にさへ 後 (オク) れぬるかな
年老いて陸奥に二度の赴任となった。
「旅人の わびしきことは 草枕 雪降るときの 氷なりけり」
昔、会った衣川の関の長は、当然ながら昔より老いていた。
「昔みし 関守もみな 老いにけり 年のゆくをば えやはとどむる」
「忍ぶれど」 の40番の作者、平兼盛とは親交があったらしい。兼盛は重之に歌をおくっている。重之は身内の一族もろとも引連れて陸奥へいっていたのか、 『拾遺和歌集』 にはこうある。
「陸奥国名取 (ナトリ) の郡、黒塚 (クロヅカ) といふ所に重之が妹あまた住むと聞き侍りていひつかはしける」 という詞書で、兼之の歌。
「みちのくの 安達 (アダチ) が原の 黒塚に 鬼こもれりと 聞くはまことか」
安達が原は福島県の安達太良 (アダタラ) 山の東の裾野という。黒塚に鬼女が住んだという伝説があるので、妹たちを鬼にたとえて諧謔したもの。重之自身にはこの軽みはないようである。人生の辛酸を経て、マジメで地味な性格になったのか。
「いやあ、それはひたすら、そういう生まれつきなんでしょう、運命ですな」
熊八中年は運命論者である。

「田辺聖子の小倉百人一首」  著:田辺 聖子 絵:岡田 嘉夫  ヨリ