〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 
== 小 倉 百 人 一 首 ==

2008/08/04 (月)  小倉百人一首 (逢ふことの)

逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも うらみさらまし
(ちゅう ごん あさ ただ )
あの女との恋の機会が
全くなかったならば
かえってあの女を恨んだり
自分を辛がったりすることも
なかったろうに・・・・・
なまじ一度の恋の時間を持ったばっかりに
いや増し募る ぼくの苦しみ

『拾遺集』 巻十一の恋の部に、 「天暦の御時歌合せに」 として出ている。
朝忠はこの記念すべき歌合せに召されて、六たび番 (ツガ) えて五たび勝っている。六戦五勝という好記録である。
朝忠のこの歌に番 (ツガ) えられたのは右方の藤原元真 (モトザネ)

「君恋ふと かつは消えつつ 経 (フ) るものを かくても生ける 身とやみるらむ」

である。
── あなたが恋しくて、私はほとほと消え入りそうな状態なのに、これでもあなたは私を生きているとごらんになるのですか。
この判定は、 「左右の歌、いとをかし」 と双方をみとめつつ、
「されど、左の歌は詞清げなりとて、左を勝となす」
朝忠の歌が勝ちとなり、これは朝忠の代表作となった。
この歌は、 「恋」 という字が一つもないのに、恋歌となっているので、その点からも古来、引用例にされて有名である。
王朝の歌はそれぞれ型が決まっていて、 「忍 (シノブル) 恋」 、「未だ逢わざる恋」 、「逢うて逢わざる恋」 などと分類され、それが歌のテーマになる。朝忠の歌は 「逢うて逢わざる恋」 の例である。 「逢う」 は 「恋の時間を持つ」 ということの婉曲表現だから、ひとたびは機会を持てたのに、あと、なかなかそのチャンスが来ない、という状況が、 「逢うて逢わざる恋」 であろう。右方の歌も同じテーマである。ただ元真の歌は、つねに言葉あそびに堕する点がある。それに反して、朝忠の歌はしらべが流麗で、言葉えらびがすっきりしていある。
朝忠は三十六歌仙の一人。右大臣定方 (サダカタ) (25番の 「さねかづら」 の歌の作者) の息子である。順調に出世して、中納言に至ったが、康保 (コウホウ) 三年 (966) 五十七歳で没した。土御門 (ツチミカド) 中納言とも呼ばれる。 朝忠は読書家で、また笙 (ショウ) の名手であったともいわれる。
この 「逢ふことの・・・・・」 の歌は、人それぞれの好き嫌いもあろうが、私自身にはそれほど印象的ではない。百人一首にはまぜか、印象の希薄な (むろん私のとって) 歌が多くて、それは詩句の似たような歌が集められているからであろう。
朝忠の歌でいえば、 『大和物語』 にある歌のほうがよい。
朝忠が中将だったとき、ある人妻に恋をした。女も浅からぬ気持ちで朝忠を愛し、人目を忍びつつ二人の仲はずっとつづいた。
そうこうするうちに、女の夫が地方長官に任ぜられ、その国へ下ることになった。女も国守の北の方 (夫人) として、夫にしたがって旅立たなければならない。それは朝忠との別れを意味する。
朝忠も女も、その別れをしみじみと悲しく思った。しかしどうづることもできない。朝忠は女が一行と共に任地へ下るという日、、こんな歌を、ひそかに女に贈った。

「たぐへやる わがたましひを いかにして はかなき空に もてはなるらむ」
── 私の魂はいつもあなたのおそばにあった
   それをふり捨て
   どうしてあなたは
   心細い旅の空へ
   はなれていらっしゃるのです・・・・・
この哀切なしらべは、朝忠の恋がホンモノであったらしいと思わせる。王朝の恋は、歌を美しくよまんがための遊びであることが多いが。
ちなみに、朝忠が中将であったのは、四十一、二歳のころである。青年のアバンチュールではなかった。
この朝忠の歌を知って紫式部は、六条御息所に伊勢へ去られた、源氏の君を設定しているのではないだろうか。源氏の愛がさめたことを知った御息所は、斎宮 (サイグウ) の姫に従って伊勢へくだる。源氏は見送りにいくのも、世間体わるく、邸にひきこもって物思いに沈む。御息所の一行は、内裏へおいとま乞いしたあと、二条大路から洞院 (トウイン) 大路へ折れる。ちょうど源氏の邸の前を、行列は通ることになる。去り行く恋人に、源氏はたまらなくなって歌をおくるのである。
「ふりすてて 今日はゆくとも 鈴鹿 (スズカ) 川 八十瀬 (ヤソセ) の波に 袖はぬれじや」
── 私をふりすててあなたは出立していく。でも鈴鹿川を渡るとき、川波に袖をぬらさぬであろうか・・・私のことを思って、泣かれるのではありませんか。
朝忠が 「逢ふことの・・・・」 の歌を天徳四年の歌合せでよんだのは、彼が五十一歳のときだった。されば、一つの恋、一つの思い出をさすのではなく、人間の生涯のほとんどをかえり見ての、彼の述懐だったのかもしれない。
ついでのいうと、 「絶えてし」 の 「し」 は強意の助詞。 「しなくは」 ではない。

「田辺聖子の小倉百人一首」  著:田辺 聖子 絵:岡田 嘉夫  ヨリ