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== 小 倉 百 人 一 首 ==

2008/07/28 (月)  小倉百人一首 (わすらるる)

わすらるる 身をば思はず 誓ひてし 人のいのちの 惜しくもあるかな
(  こん )
やがて私は忘れ去られる身だと言うことを思いもせず
私はあのとき、愛を神に誓った
なんて愚かな私なのかしら
でも心がわりしたあなたには、神仏の罰があたるわよ
いい気味といいたいけれど
でも、それは嘘
罰が当たって
あなたが死ぬなんていや
死んじゃいや
でも
あなたが憎くないといったら
それも嘘になるの

この右近は艶聞の多い女性だった。歌は 『拾遺集』 巻十四の恋の部に出ている。
この歌の解釈は二通りあって、 「わすらるる 身をば思はず」 で切るものと、 「誓ひてし」 まで続けるもの。切り方によって意味が少し変ってくる。
昔の人は、 「わすらるる 身をば思はず」 で切って、男に忘れられるわが身のことは何とも思わない、それよりも神さまにいろいろ誓いを立てて心変わりしないといったあなたが、心変わりしたんだから、いまに神仏の罰が当って命を失うだろう、それを思うとあなたがいとおしいのです、と解釈する。
自分のことよりも、男の命の方を惜しむというところが、昔の男には受けたとみえて、下河辺長流 (シモコウベチョウリュウ) あたりも 「貞女の心なり」 ときわめて満足そうである。昔の男は (昔に限らないが) 女が自分のことをあとまわしにして男に献身すると 「愛 (ウ) い奴」 と満足する。
しかし、もしそう解釈すると、右近というのはいやみったらしい女である。裏切った男に尽くすなんて、嘘っぱちにきまっている。
自分を裏切った男なんか死んでしまえばいい、というのが女の本音である。自分を美人と思ってくれない男の前に、一分でも坐っていたくない、というのが女の本音である。 『梁塵秘抄』 (王朝末期、後白川院の編で、当時のかやり唄を集められた歌集) に、 

「我を頼めて来ぬ男
角三つ生いたる鬼となれ
さて人に疎まれよ
霜雪あられふる水田の鳥となれ
さて足冷たかれ・・・・」

あたしへの愛がさめてしまった男なんか鬼になって人に嫌われるがいいわ、寒い水田の鳥になって足が氷のように冷えるがいいんだわ ── という、呪詛と憎しみに満ちた女の叫びである。
「そうそう、どこの世界に、貞女なんかおりまっかいな」
と熊八中年もうなずく。
「女は、自分がそうしたいからそうした、というだけのこと。貞女なんて男のあらぬ幻影ですな」
まことに、右近も女の本音をいったにちがいない。そこで、この歌のよみかたを少し変えてみて、 「わすらるる 身をば思はず 誓ひてし」 で一度切り、 「人のいのちの 惜しくもあるかな」 と分けてみよう。 『百人一首の世界』 (久保田正文・文芸春秋刊) では、この歌の解釈を 「 『大和物語』 なども参照しつつ、もうすこしロマネスクに読むことは出来ぬものであろうか」 とある。
『大和物語』 の八十一段から八十五段に右近のことが載っている。
右近は藤原李縄 (スエナワ) という人の娘、この人が右近の少将だったので 「右近」 と呼ばれたらしい。醍醐天皇の皇后穏子 (オンシ) に仕えた女房であった。例によって、実名も生没も分らない。
大ざっぱにいって十世紀はじめの頃の人である。
恋人の名は分っている。藤原敦忠 (アツサダ) 、百人一首にやはり採られている、
   「あひみての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり」 (48番)
の作者である。 左大臣・藤原時平 (トキヒラ) の三男、時の権力者の御曹司である。歌にすぐれ、音楽の才にも恵まれた風流貴公子であった。
だから右近との恋は、歌人同士、芸術家同士の恋である。ただ、右近の身分は低い。そして一介の女房にすぎない。二人の恋が燃えているうちはいいが、恋がさめるとバランスは崩れる。
しかも右近は敦忠に恋しつつ、別の男、桃園 (モモゾノ) の宰相とも噂があり、また頭の中将とも交渉があった。男にもてた女だったのだ。
しかし右近が本当に愛し、相手の心がわりでショックを受けたのは、敦忠であったようだ。 『大和物語』 には 「忘らるる」 の歌をのせ、その前にこうある。

「男の、 『忘れじ』 と、よろずのことをかけてちかひけれど、忘れにけるのちにいひやりける」
男は < ── 君のことは忘れない > といろんなことをいって誓ったのである。 < もし心変わりしたら僕は命を取られてもいい、神仏にかけて誓うよ >
< あたしもよ > と女も誓う。
< お互いに一刻でも忘れるようなことはないと誓おう。神も仏もご照覧あれ >
恋の最中は、うわずっているからいくらでもそんな誓いが出てくる。しかし男は、あらての恋にめぐりあって右近を忘れたのである。右近はいいやる。
< やがて忘れられることを思いもせず、誓った私。私はおろかだけど、心変わりしたあなたにはバチが・・・・。
いえ、あなたにもしものことがあっては、いやだわ。でもあなたに何のバチも当らず、ほかの女と幸福になるなんて許せないわ。・・・・ >
「なるほど嫋嫋たる女心の複雑な綾ですなあ」
と熊八中年はいった。
「貞女は頂けませんが、この矛盾した女心は、可愛いせすなあ」
熊八中年にかかると、たいていの女は可愛いらしいのである。

「田辺聖子の小倉百人一首」  著:田辺 聖子 絵:岡田 嘉夫  ヨリ