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== 小 倉 百 人 一 首 ==

2008/07/26 (金)  小倉百人一首 (夏の夜は)

夏の よ は まだよい ながら 明けぬるを 雲のいづこに 月宿やど るらむ
( きよ はらの ふか )
夏の夜の短さよ
まだ宵のうちと思っていたのに
はや 白々と明けそめた
月は山の端に入るひまもなく
雲のどのあたりに
宿っていることやら

『古今集』 巻三・夏の歌に、 「月のおもしろかりける夜、暁がたによめる」 として出ている。夏の夜の短さを歌った歌としては、同じ集の同じ夏の部に、紀貫之の歌がある。

「夏の夜の 臥すかとすれば 時鳥 (ホトトギス)  鳴くひと声に 明るくしののべ」
これもさわやかでいい。もっとも、このほととぎすの歌は、夏の盛りのころで、深養父の歌は、かなり夏もたけたころらしい。 『古今集』 の歌の配列は、きちんと季節の移り変わりをふまえており、恣意的に並んでいるのではない。
夏の歌は、藤の花からはじまり (太陰暦の四月) 、ほととぎす、花たちばなの五月 (サツキ) 、さみだれ (現在でいうと、梅雨である) 、卯の花、六月 (ミナツキ) の短か夜、蓮の花・・・・そして旧暦六月が終われば、はや立秋である。
深養父の歌は六月の晦日 (ツゴモリ) の歌の前二首目にあるので、旧暦六月下旬ごろ、この頃は下弦の月で、月の出は遲い。そのくせ夜明は早く、日が出ているのに、月はまごまごと中天にあるという風情、 「まだ宵ながら 明けぬるを」 は、いまも私たちがよく目にする実景スケッチである。
「こんなん、どこが面白おまんねん」
と与太郎青年はいう。そういわれると、私も返答に窮する。
『古今集』 にはこういう、理屈落ちの歌が多いが、当時にあってはそれも歌の持つ魅力の一つであった。
機智ということを 『古今集』 時代の人は珍重したようである。明晰を愛し、硬質な理知を好んだようである。それはユーモアを生む。
「雲のいづこに 月宿るらむ」 という軽い諧謔が、この時代の人に喜ばれた。深養父の歌はどこかニヒルの影がある、乾いた機智で、同時代の人々には人気があったらしい。
「やはり 『古今集』 の冬の部で、こんなのが彼にはある。
「冬ながら 空より花の 散り来るは 雲のあなたは 春にやあるらむ」

これは 「雪のふりけるをよみける」 という詞書があり、 「空より」 散る花は雪のことである。
清原深養父の、くわしい生涯は分らない。十世紀前半の人、官吏としての人生は不遇で一生うだつがあがらなかったが、勅撰集には四十一首も入っていて、歌人としての名を永久にとどめた。
まことに 『古今集』 の真名序 (マナノジョ) (漢文の序文) にいうごとく、

「貴 (タフタ) きことは相将 (シャウシャウ) (大臣大将) を兼ね、富めることは金銭を余すといへども、骨いまだ土中に腐 (ク) ちざるに、名は先ず世上に滅す。たまたま、後世のために知らるる者は、ただ和歌の人のみ。いかにとなれば、ことばは人の耳に近く、義は神明に慣 (ナラ) へばなり」
政治家や権力者、富める者の名はすぐ忘れられるが、歌よみの名は後世の人にも忘れられない、という。
尤も深養父は藤原公任 (キントウ) の三十六歌仙には洩れている。公任には認められなかったらしい。しかし深養父より三百年ほど後になって、俊成に認められ、 『古来風躰抄 (コライフウタイショウ) 』 にはこの歌が採られている。 (この書物には 「夏の夜は まだ宵ながら 明けにけり 雲のいづこに 月やどるらん」 となっているが)
『 古来風躰抄』 は式子内親王に求められて俊成のあらわした歌論書で、古来からの歌の中で、彼が秀歌と認めた作品を挙げ、鑑賞批評したものである。
歌のほかにも彼の名は残った。
それは何かというと、かの 『枕草子』 を書いた清少納言の曽祖父としてである。清少納言の父、元輔 (モトスケ) は、深養父の孫にあたる。
清少納言は、由緒ある歌人の家柄に生まれた女であったのだ。
だからかえって肩が張って気楽に歌がよめない。お仕えする一条天皇の中宮定子 (テイシ) のサロンで歌合せがあっても仲間に入らない。それで中宮に、
「元輔が、後裔 (ノチ) といはるる 君しもや 今宵の歌を まづぞ詠まはし」
とからかわれる始末。清少納言はすぐ、
「その人の のちといはれぬ 身なりせば 今宵の歌を まづぞ詠ままほし」
── 歌人の娘、といわれぬ身でしたら、今夜の歌合せの歌も真っ先に詠んでお目にかけるのでございますが ── と返した。
しかし歌はともかく、散文の分野で、清少納言は父祖の名と家柄を恥ずかしめぬ仕事を残した。
「名や家柄、というのは不自由ですな。才能の遺伝もろたかて、しんどいばっかしや。僕は金持ちの遺伝で、よろしおま」
与太郎青年のいうことは、なぜこう、がさつなのであろう。

「田辺聖子の小倉百人一首」  著:田辺 聖子 絵:岡田 嘉夫  ヨリ