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== 小 倉 百 人 一 首 ==

2008/07/20 (日)  小倉百人一首 (たれをかも)

たれをかも しる人にせむ 高砂たかさご の 松も昔の 友ならなくに
(藤原ふじわらの おき かぜ )
心を許しあった友達は
一人逝き 二人逝きして
いまはもう 誰もいない
いったい誰を友としたらいいのか
高砂の松は 私と同じように
年古りているとはいうけれど
松も昔なじみの友ではないのだもの

この歌は、おめでたい歌のようにみえるが実は淋しい歌なのである。
ただ昔から、高砂の松は、住吉の松とともに長寿とされ、めでたいももとして歌にも詠まれ、親しまれてきた。高砂はいまの兵庫県高砂市、加古川市の海岸、住吉は大阪市の住吉付近の海岸である。古代はどちらも老松が生い茂り、風景美しい名所ということになっていた。謡曲 「高砂」 には、

「高砂の尾上 (オノエ) の松も年ふりて、老いの波も寄り来るや、木の下蔭 (シタカゲ) の落葉かくなるまで命ながらへて、なほいつまでか生 (イキ) の松、それも久しき名所かな」

老人夫婦、尉 (ジョウ) と姥 (ウバ) があらわれて、相生の松のいわれを物語る、おめでたい謡曲である。
興風の歌は 『古今集』 巻十七の雑歌にあるが、その前後は、老いの嘆きの歌が多く集められている。興風のも、そのうちの一つである。
老いの孤独と悲愁が出ているが、その悲しみは、くたくたと崩れず、凛として男らしい。
長寿の老松の姿は神寂 (カンサ) びて立派であるものの、老いたる人の淋しさを慰めてはくれないのである。そしてこの場合の 「知る人」 は、女ではなく男友達のようである。興風は、肝胆相照らした親友を失った淋しさを訴えつつ、そこに高砂の老松を持って来て、人生の老いの悲しみに毅然と耐える男のイメージを透かせている。
それが、この歌に格調の高さを与えているのであろう。
『古今集』 ではこの歌の前に、読み人知らずとして、
  「かくしつつ 世をや尽くさむ 高砂の 尾の上にたてる 松ならなくに」
── 高砂の松は老いてもがっしりと枝を張り、風雪に耐えて変わらぬ色を増している。私も老いたが、屈せず雄々しく生を終わろうと思う、高砂の松ではないけれど・・・・。
というような意味であろうか。
ついでに老いにかかわる古来有名な歌を少しばかり抜き出してみよう。

「われ見ても 久しくなりぬ 住の江の 岸の姫松 いく世経 (ヘ) ぬらむ」

これも同じ巻。── 私が見てからでもずいぶん久しくなったもんだ、この住の江の岸の、背の低い松はいったいどのくらい長い年月を過ごしてきたのか。

「世の中に 古りぬるものは 津の国 長柄 (ナガラ) の橋と われとなりけり」

── この世の中で、古びて時代遅れになったっものは、津の国の長柄の橋とこの私だな。

「今こそあれ われも昔は をとこ山 さかゆく時も あり来 (コ) しものを」

── 今はこんなに年とったけれどな、わたしもその昔は男山 (石清水八幡宮のある山) の坂を登るのではないが、男盛りの登り坂、栄えたときもあったのさ。
この男山の歌は言うまでもないが、どうやら 『古今』 の嘆老の歌、みな男の歌のように思われる。無常感がないのは時代の風潮のせいであるが、その嘆きがドライでシンプルでからっとしている。
女の老いは、容色が衰えるという歎きに重ねられるので (小野小町の 「花のいろは 移りにけりな いたずらに わが身世にふる ながめせしまに」 などを思い出して頂きたい) 複雑な陰影に飾られる。
長柄の橋の歌にしろ、男山の歌にしろ、男たちは
< いやもうダメだよ、この年じゃ >
といいながら、案外ヒトゴトのようで、自分はさして老いを自覚していない。気は若いようである。
しかし興風の歌は、惻々 (ソクソク) とせまる老年の悲愁にくまどられつつ、敢えて自分を高く持する気概がある。
藤原興風、この人の詳しい伝記は未詳、貫之と同時代の歌人である。三十六歌仙の一人。官位は低かったが、当時有数の歌人だったとみえ、 『古今集』 にはたくさんの歌が入っている。日本最古の歌学書 『歌経標式 (カキョウヒョウシキ) (浜成式 (ハマナリシキ) ともいわれる) の著者、浜成は、興風の曽祖父であるから、代々、歌のゆかりを伝える家らしい。
興風の歌は、従来の女性にはよめない歌であったろうが、これからは出てくるだろう。今までの日本史の女は子や孫に囲まれ、 「たれをかも知る人にせむ」 という孤独は絶えてなかった。しかしこれからの女たちは、自我を持ってひとり立ちする。自我を育てて生きれば、子や孫の肉親の愛情では埋められぬ、人生の寂寥と孤独を知るであろう。さればやがて日本の女たちも、こういう歌を詠むようになるであろう。

「田辺聖子の小倉百人一首」  著:田辺 聖子 絵:岡田 嘉夫  ヨリ