『古今集』 巻二に 「さくらの花のちるをよめる」 として出ている。
「久方の」 は、光や日、空、月、天 などにかかる枕ことばである。それはいい、学校の国語の時間にでもみんな習うことである。
しかし、 「しづ心なく 花の散るらむ」 の 「らむ」 が若いときにはわからない。 「らむ」 は本来、推量の助動詞だから、
「静こころ」 なく花が散るのだろう、とくると、ぜひともこれはその上に、 「など」 (なぜ)
という言葉が入らないと理屈の合わない。
私は学生の頃には、この 「なぜ」 抜きの友則の歌が、奥歯に物が挟まったように気にさわるのであった。 「久方の
光のどけき 春の日に などしづこころなく 花の散るらむ」 としたら意味はチャンとするにだが、と考えていた。
若い時というのは、物事が杓子定規にきちんと進行しないと気になってならぬ、偏狭で依怙地なところがある。当人は純粋だと思っているが、ナニ、それはただ人間の身幅が狭いだけである。
この歌は 『古今集』 派の人々からは、凡庸単純な作として排斥されてきた。
しかし歌というものはふしぎなイキモノで心を閉ざした人が読んでも、その中へは、入ってきてくれないが、先入観を持たない自由の人の心が、こだわりなく親しむと、にわかに生き生きと起ちあがってきてくれる。
── 若い時をすぎてこの歌に親しむと、まことにこれは春風駘蕩という歌である。
しかもそのゆったりとのどかな心象風景に、日のかげるような一抹の哀傷もある。
桜の花は散りに散る。ここで 「しづこころなく」 という言葉が利いてくる。咲いている姿も美しいが、桜の花の花吹雪の美しさはまた無類である。桜は枝を離れて散りまがうときも、地に落ちても美しい。
友則の視線は地を雪のように埋めつくす桜の花から次第に上って、梢に移る。そのひまも、花は散り、友則の頭上にも肩にもふりかかる。
「花よ。なぜそのように、しづこころなく・・・・」
とふと友則の唇に 「しづこころ」 という言葉が浮びあがってきたのではあるまいか。この歌の核心は 「しづこころ」
という言葉だと私は思う。
春の日の、ものかなしきアンニュイ。それを 「しづこころ」 というコトバで、彼は凝縮させた。
そうなると、 「など」 は不要である。 「らむ」 は推量というよりも、むしろ吐息、咏嘆 (エイタン)
である。 「花の散るなり」 としたら平板な叙述になって作者の美しき感傷は表現されない。ここはやはり、 「らむ」
とその咏嘆を美しくぼかして暗示しなければならない。
その上にこの歌の秘密は、 「ひ
さかたのひ
かりのどけきは
るのひ
に」 と、 「ハ」 行音が重なって耳に快くひびくところである。
ほんとうに歌は理屈ではない、とつくづく思う。友則はベテラン歌人であるから、 「ハ」 音を活用したのは彼の技巧であって、偶然の産物ではないだろう。しかし結果は予想以上となった。
唇にのぼらせやすい、なだらかなしらべは、人間の作ったものとも思えない。人の手に神が (古典的にいえば鬼が)
手を添え、力をかしたというようなところがある。どこかで神秘な窯変 (ヨウヘン)
を遂げ、さながら 「春の心」 そのものといった美しい歌が生まれた。 まさにアプロディテの誕生、というところ。
私はこの歌が、いかにも春らしくて好き ── というようになるころには、五十をすぎていた。
やーれやれ。
トシを重ねるということは、たぐいもなく嬉しいことだ。
今まで見えなかったものが見え、こぼしつづけていたものを拾いもどすことができる。
そうなると、 「など」 も要らない、 「らむ」 の在りどころも推察できるようになる。理屈ぬきで私はこの歌に親しむのである。
作者の紀友則は貫之のいとこ、 『古今集』 撰者の一人であったが、その完成を見ずに没したらしい。歌人として有名であったが下級官吏だったから、その詳しい生涯は分っていない。
与太郎青年にこの歌を示すと、
「いやあ ── 「しづこころなく」 は今は人間の方とちゃいますか、ハハハハ」
という感想であった。
「僕ら、会社の花見の日ィは、幹事は朝早ようからゴザ持っていって、場所占領せんならん。そいから缶ビール、ウイスキー、弁当の手配、と目のまわるいそがしさ、宴会はじまったら誰も花なんか見てへん、花の方が呆れて、
“ しづこころなく、人さわぐらん ” と思うてまっしゃろな」
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