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== 小 倉 百 人 一 首 ==

2008/07/16 (水)  小倉百人一首 (有明の)

あり あけ の つれなく見えし 別れより あかつき ばかり (  きものはなし
(壬生みぶの ただ みね )
空には有明の月が
つれなく かかっていた
あなたのそばにもっといたかったのに
明ければ帰らねばならぬ世の習い
ぼくは心残して帰った
あの日からというもの
ぼくにとっては暁ほど
せつなく辛いものは
ないようになったんだ

この歌には違う解釈もあって、 「つれなく見え」 たのは、有明の月だけでなく、女もそうだったという。是は 『古今集』 巻十三の恋の部にあるが、この歌の前後は、逢えない恋や女のつれなさを恨む歌が並んでいる。それゆえ、ここは女に会えず、あるいは女につれなくされて帰った、その時から暁がうらめしくなったというものである。
しかし定家はそうは取らず、女と恋の一夜を送り、その夜明、飽かぬ別れをしたせつなさ、とみている。そこに艶なおもむきを汲み取って、これぐらいの歌が詠めれば、この世の思い出になるだろうと称賛している。
「有明のつれなく見えし」 を、女のつれなさにひっかけるのは、王朝の発想としてはちょっと落ちつきが悪い心地がするので、私も定家の解釈に従う。
壬生忠岑は41番の
  「恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人しれずこそ 思ひそめしか」
の壬生忠見 (ミブノタタミ) の父である。当時の有名な歌人で 『古今集』 の撰者の一人であるが、下級官吏であったため、くわしい事蹟はわからない。九世紀後半から十世紀にかけての人らしい。生涯微官に終わったが、勅撰集に入った歌は多く、歌人としての名を得て千年の命を保つことになった。
この忠岑 はかって右大将、藤原定国 (フジワラノサダクニ) の随身 (貴人のお供に公式に派遣されるお付き武官である) であったことがある。
ある夜、定国はよそで酒を飲んで酔い、夜更けて帰る途中、ふと、
< そうだ、これから左大臣邸へ参ろう! >
と言い出した。酔っぱらいは往々、こういうことがある。自分がご機嫌なものだから、先方もそうだと思ってしまう。
突然やってこられた左大臣の方は、真夜中ではあるし、面くらってしまう。この左大臣は時平 (トキヒラ) である。このころ菅原道真を蹴落として政権を掌握し、乱れた国政をたて直しつつある、少壮気鋭の実力者である。それだけに気性も激しい。定国と時平の平生の交際程度は分らないが、真夜中に押しかけられて、
< 何だ?何しにきた >
という気になったのかも知れない。邸の人々は、右大将がおいでになったというので、あわてて格子を上げたりしてさわいでいる。
時平は、身分ある客人に向かって、帰れともいわれず、
< どこへおいでになったお帰りですか>
などという。いささか中っ腹だったのかもしれない。
そのときお供をしていた壬生忠岑は、御殿の階段のもとに、ぱちぱち爆ぜる松明を手に捧げながらひざまずき 、定国の代弁して、ご挨拶申し上げる。
< 大将殿は仰せられておりまする。 「かささぎの わたせる橋の 霜の上を 夜半にふみわけ ことさらにこそ」 >
── 御殿の階段に置いた霜の上を、この夜中にふみわけ、わざわざ参上したのでございます、よそへいったついでに、思いついて寄ったわけではございません。
当意即妙の歌でとりなしたので、時平も、
< いや、これはおもしろい、これこそ風雅というもの、愉快愉快、よく訪ねて下さった。歌を肴にまず一献 >
と甚だ興を催し、その夜、一夜じゅう主客は快く酔い、音楽も楽しんで、辞去する時には定国に引き出物を、忠岑 にはほうびを与えたという、まことに歌は人の心を和らげ結ぶ。
忠岑 の歌としてはほかに、
  「風吹けば 峰にわかるる 白雲の 絶えてつれなき 君が心か」
がいい。
風に吹きやられた白雲が峰でちぎれて絶える、そのようにあなたの心も私から離れてしまった、ほんとに無情なあなたよ。
── この歌はしらべも気高く、それでいてリアリティもあって、 『古今集』 中の名歌といっていい。少なくとも 「ありあけ」 の歌よりは私はこちらの方をとる。息子の忠見の 「恋すてふ」 の歌もいいが、忠岑の 「風吹けば」 も、私の好きな歌である。
忠岑には理性味の勝った歌も多いが、もうひとつ、いかにもみずみずしい恋の歌。
  「春日野の 雪間をわけて おひいでくる 草のはつかに 見えし君はも」
奈良の春日神社のお祭りに忠岑は出かけた。祭りの見物に来ていた群衆の中に美しい女がいた。忠岑は心おどらせてその女の家をさがしあて、贈った歌がこれである。春日野の雪の間に生い初めた若草のように、ちらりと仄見 (ホノミ) した恋しいあなたよ、── というような意味か。忠岑の若い日の恋であろうか。
「いや、これは老年の恋でしょう」
またしても熊八中年は異をとなえる。
「ありあけはヤングの恋でしょうが、春日野は女性へのあこがれぶりが純真です。老いてこそ、人は恋に純情になるのです」

「田辺聖子の小倉百人一首」  著:田辺 聖子 絵:岡田 嘉夫  ヨリ