吹くからに
秋の草木の しをるれば むべ山
風
を 嵐
といふらむ |
(文
屋
康
秀
) |
風が荒々しく吹くものだから
草木は萎れてしまう
なるほどな 荒々しいから
「あらし」とは よういうたもの
さてまた
山風と書いて
嵐と訓むとは
むはははは
これも納得・・・・・
とはいうものの
秋の山風の 身に泌むことわいな |
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この歌は 『古今集』 巻五・秋歌 (アキノウタ) 下の巻頭に
「是貞 (コレサダ) 親王の家の歌合せの歌」 として出ている。
山風を嵐といふらむ、という頓智 (トンチ) は、現代では中学生でも興がらないかもしれないが、これも
『古今』 的おあそびの一つで、紀友則 (キノトモノリ) の歌にも、
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「雪ふれば 木毎 (キゴト) に花ぞ
咲きにける いづれを梅と わきて折らまし」 |
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── 梅の字を分析して、 「木毎に花」 と言いかぶせている。
「いや、そういうの、昔もありました。旧制中学の頃に興じたことがあります、僕も」
と熊八中年はいう。それは悪友の教えてくれたもので、
「 "妾という字を分析すれば 家に波風立つ女" ── という、都々逸 (ドドイツ)
でしたな」
品がちがう。
この歌は、理屈めいて現代人の共感を呼ばないものと貶 (オト)し
められがちであるが 、名歌佳作ばかり並べられると息苦しくなるものである。時にこういう、気を抜いて気楽なものも好ましく、またおぼえやすい歌なので、駄作のように見えつつ、古来、不思議に人に愛されている。歌の不思議な一コであろう。
『古今集』 撰者たちとしては、この歌にこもる晩秋の山風の凄さを、採りたかったらしい。
「秋歌上」 の冒頭にも風の歌を配しているので、それに対応させたのであろう。
秋風の歌は、立秋の日の、初秋の風を詠む。これも人口に膾炙 (カイシャ)
した名作で、私はこの歌が好きである。作者は藤原敏行 (フジワラノトシユキ)
。
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「秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかされぬる」 |
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日中は日差しも強く、残暑去りがたいのに、折々ふと風の肌ざわりがするどくなっている。
おお、この風はもう秋の風だ ── とはっと気付くのである。いかにも美しい初秋の歌。
やがて秋が次第にたけ、吹く山風の音も物凄くきかれる、そういう時のために文屋康秀の歌はある。
ところで、このむべ山風の歌、作者は、実際は、康秀ではなく、その子の朝康 (アサヤス)
であろうというのが、近来の定説になっている。
何種類かの古写本には 「あさやす」 と書かれているそうである。また、是貞親王は光孝天皇の第二皇子。その歌合は寛平
(カンピョウ) 初年ごろか (889・890?)
といわれるが、文屋康秀はそのころには、生存していたとしてもかなりの老齢であって、年齢的に見ても、息子の朝康の作、とした方が無理がない、というのも、朝康も百人一首に入っている歌人である。
(37番)
康秀の方は、生没年は分らないが、九世紀半ば頃の人らしく、三河、山城、などの三等地方官を経て、縫殿助
(ヌイドノスケ) にいたるというのだから、まあ、ぱっとしないお役人で終わったけれど、一応、六歌仙の一人。
『古今集・序』 での貫之の評は、中々、辛い。
「文屋康秀は、詞 (コトバ) たくみにて、そのさま身におはず。いはば、商人
(アキヒト) のよき衣 (キヌ) 着たらむがごとし」
秀康は、詩句の使い方は巧いが、内容が伴わない。いうなら、商人が立派な衣裳に身を飾ったようなもので、中身に品がない
── ボロクソにいわれている。その上、 「序」 に引かれた 「吹くからに」 の歌は、 「野辺の草木のしをるれば」
となっており、歌は違うわ、作者は息子とまぎれるは、で、この歌は何ともあやふやである。
伝承されるうちに転々と変貌していったのかも知れない。それだけ、民衆に愛されたということであろうか。
この康秀、一つだけ色っぽいエピソードを残している。
同時代の女流歌人で、同じく六歌仙の一人、小野小町と仲がよかったらしく、 (小町のボーイフレンドは、遍昭や業平はじめ多いが)
三河の国 (愛知県) の三等官になって赴任するとき、小町を誘った。
「どうだい、田舎見物に行かないか、行こうよ、いいだろう、おれと一緒にさ」
小町は歌で返事をした。 |
「わびぬれば 身を浮草の 根を絶えて 誘ふ水あらば いなむとぞ思ふ」 |
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── そうね、面白くないのよ、この頃。浮草みたいに根無し草になって、水の誘うままにどっかへ出かけたい気分よ。
「うーむ」
熊八中年は考え込む。
「思わせぶりな返事ですなあ」
「小町は、ついて行ったと思いますか?」
「いや、行かんでしょう。色よい返事ではありますが。誘う水あらば、とか、触れなば落ちん、とかいう風情の女に限って、口だけのように思われますな」
アタリ、ですね。
「いなむとぞ思
ふ
」 で、そんなことを空想して思うだけですよ。女は。 |
「田辺聖子の小倉百人一首」 著:田辺 聖子 絵:岡田 嘉夫 ヨリ
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