〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 
== 小 倉 百 人 一 首 ==

2008/07/04 (金)  小倉百人一首 (わびぬれば)

わびぬれば 今はたおなじ 難波なに わ なる みをつくしても  あ はむとぞ思ふ
(もと よし しん のう )
人は私を指さしてそしる
不倫の恋に狂う痴れ者と・・・・
世間の目に咎められ
もはや あなたに逢うことも
ままならぬ世のおきて
あなたを恋うて物狂おしく
悶々の日々
ええい もはや同じこと
噂が立ったいまは
難波のみおつくしではないが
身をつくして 破滅しても ままよ
あなたに逢いたい
逢わずには措くものか

激越な感情が、美しい調べにみごとに乗って、急湍 (キュウタン) を落ち下るような勢いのある歌である。
大岡信先生は 「あっぱれドン・ファンの心意気」 とおっしゃっている。
この歌の 「難波なる」 がちょっとまごつかされるが、これは別に大阪に関係がある歌ではなく、 「みをつくし」 を持ち出したいための掛けことば。その昔、難波の入り江には、水脈 (ミオ) を知らせる杭が立てられていた。 「水脈つ串」 はそれをいう。王朝に入ってから、難波といえばみおつくし、みおつくしといえば難波、と歌の縁語に使われるようになった。無論 「身を尽くし」 に掛けられるのである。
元良親王 (890〜943) は、陽成天皇の第一皇子であるが、天皇退位後の誕生である。父君ゆずりの奔放な情熱を、もっぱら恋愛沙汰で燃焼したようである。その歌を集めた 『元良親王御集 (モトヨシシンノウギョシュウ) 」 は全篇これ、女性との恋のやりとりで埋められる。
冒頭に、
「陽成院の一の宮元良親王 (モトヨシノミコ) 、いみじき色ごのみにおはしければ、世にある女の、美 (ヨ) しと聞こゆるには、あふにもあはぬにも、文やり、歌よみつ、やりたまふ」
とあり、美人と聞くと、片っ端から歌を捧げて、まず口説く、というまめな人であったようだ。
『徒然草』 によると元良親王の元日の奏賀声は、まことに音吐朗々 (オントロウロウ) と、大極殿 (ダイゴクデン) からはるか遠くまで聞こえて見事だったというから、体格も立派な、いい男ぶりであったらしい。
色ごのみというのは、現代の好色よりももっと広範囲の情趣をいう。性的世界は包含されるけれども、風流を解し、恋愛の駆け引きを娯 (タノ) しみ、恋の情緒を尊ぶ。もののあわれを知り、柔軟で鋭敏な感受性を備えていることを指し、そこに肉欲偏重の臭気はない。それが王朝の色ごのみである。
元良親王は、女房、人妻、姫君、ありとあらゆる身分の女と恋愛し、ついに宇多院の愛妃に懸想する。 『御集』 に、 「夢のごとあひ給ひて後」 、新王は御息所 (ミヤスンドコロ) に歌を贈った。

「ふもとさへ あつくぞありける 富士の山 嶺の思ひの もゆる時には」
この京極恩息所と呼ばれた藤原褒子 (ホウシ) は美しい人だったらしい。
父の時平は、醍醐天皇の後宮に入れるつもりで入内させたのに、天皇の父君でもう法皇になっていられた宇多院が、褒子を見るなり 「これは老法師賜はりぬ」 といって連れて帰って、自分の妃にしてしまったという。ずいぶん、宇多サンもやりたい放題をなさるかたである。
褒子の年齢は分らないが、その父親よりも年長の宇多サンは、褒子を溺愛されて、どこへ行かれるにも、あまたの寵姫 (チョウキ) をさしおいき、常に褒子をおそばから離されなかった。
そういう御息所に果敢に言い寄り、恋人にしてしまうのだから、王朝の色男も中々、よくやるではないか。
京極御息所にはもう一つ、優雅な話が伝えられている。
近江の志賀寺 (シガテラ) に朝勤 (チョウキン) (朝観 (チョウカン) ともいわれる) 上人という高徳の老僧がいた。
あるとき、志賀寺へ参詣に来た御息所を、一目かいま見るなり、恋に落ちてしまった。年来の修行の甲斐もなく、恋に狂ってふらふらとあとを慕い、御所のお庭まで入り込んで、二夜三夜、そこにたたずんで恋い焦がれていたという。
その哀れな姿に心動かされた御息所は、老僧を召し寄せ、御簾の内から、わずかに白い手をさし出した。老僧は感激にわななき、あえかな美しい手を握りしめ、
「初春の初子 (ハツネ) の今日の 玉帚 (タマバハキ) 手に取るからに ゆらぐ玉の緒」
と万葉の古歌を口ずさめば、御息所は、
「極楽の 玉の台 (ウテナ) の はちす葉に われを誘 (イザナ) へ ゆらぐ玉の緒」
と返歌して老僧にやさしい心づかいをみせたという。
「老僧はどうしましたか、その後」
と熊八中年は興味しんしんで聞く。
「それは伝わっていませんが、さぞかし満足して、残る生涯を安らかに送ったのでは」
「いや、寝た子を起こされて、また一から修行をし直したかもしれませんな」
熊八はニヤニヤしていうが、ともかくドン・ファン元良親王も真剣にうち込んだほど、京極御息所は、女らしい優しさを持つ美女だったようだ。

「田辺聖子の小倉百人一首」  著:田辺 聖子 絵:岡田 嘉夫  ヨリ