君がため
春の野に出
で て 若
菜
つむ わが衣
手
に 雪は降りつつ |
(光
孝
天
皇
) |
あなたにと思って
まだ寒い早春の野に
私は出て
やっと生いそめた
みどりの若菜をつみました
その私の袖に
雪がちらちら
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若菜つむ、というのは古くからの習わしらしい。春とはいってもまだ余寒きびしく、雪はちらちら降る。しかしもはや土のおもてには青いものが萌えそめている。それを摘んで食べることは、若草の持つ生々たるエネルギーをわが身にうつしとり、延命を願う、縁起のいい、景気のいいことなのである。
『古今集』 春の部にこの歌はあり、
「仁和 (ニンナ) のみかど、みこにおはしましける時、人に若菜賜ひける御歌
(オホンウタ) 」
とある。仁和というのは光孝天皇の年号である。天皇がまだ親王でいられた時代のこと、という。
「親王さんというような偉い人が、自分で摘み草なんか、しはりまんのんか」
と与太郎青年はいう。
「さあ、それは修辞の上であって、ご家来衆に摘ませなさったのかも分りませんね。でもそれを 「君がため」 と自分が手を下したようにいうところに、昔のおくゆかしいみやびがしのばれますね」
私は少し気取っていう。この歌にも、いい意味の気取りがある。
和歌というもの、こういう気取りも一つの要素である。しかし私はこの歌が好きなのである。声調も優美でおぼえやすい。
この歌に先行するものといわれる、 『万葉集』 の、
「君がため 山田の沢に 恵具 (エグ) つむと 雪消
(ユキゲ) の水に 裳 (モ) の裾 (スソ)
ぬれぬ」 (巻十・1839) などのゴツゴツした野趣とは比べものにならない。
エグというのはクワイのことである。それよりは、生い初めたばかりのうす緑のなずな、すずしろ、よめな、それらを摘む貴公子の袖の上にかかる春の雪、いかにも絵のように美しい。
私はうっとりするのであるが、与太郎青年は現実的である。
「その、若菜をどうやって食べたんですかね」
「あつもの、というから煮て、あたたかいのをあえたんでしょうか、塩、醤 (ヒシオ)
みそ、お酢、はじかみなんかだありますからね」
「菜っぱだけではまずかったでしょうな」
「それはわからない。昔の人は自然の味をじっくり楽しんだでしょうから」
「ぼく等、肉かなんかがないと楽しめませんな」
すべて現実に即して考えるらしき与太郎は、また突如として問う。
「この君は、男ですか、女ですか」
「それは女じゃないかしら。・・・・・王朝の 「人」 は、女性を指すことが多いから。多情多感な若き日の親王の恋ね、若菜の緑がファーストラブの風趣です。さわやかで艶ですね」
「親王も恋をしましたか。お妃えらびでさわれたかな」
「いえ、この親王・・・・時康 (トキヤス) 親王は親王時代が長かった。帝位に即かれたのは五十五のお年のときでした」
「へー。そんなオジンの親王もいてはったんですか」
親王というと浩宮 (ヒロノミヤ) さまあたりを思い浮かべるらしき与太郎はおどろく。
この光孝天皇 (830〜887) は仁明 (ニンミョウ) 天皇の第三皇子であった。 『日本三代実録』 によると
(この本は漢文で素人には実に読み辛いのだが) 、
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「少ニシテ聡明
、好ンデ経
史
ヲ読ミ、容
止
閑
雅
。謙
恭
和
潤
、慈
仁
寛
曠
」 |
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とあるから、幼い時から学問を修めたインテリで、人柄は謙虚で温厚、思いやりがあって心が広かった、その上気品のあるハンサムだった、ということだろう。
身内の皇族にも受けがよく、ことに文コの后 (キサキ) ・明子(アキラケイコ)
は親王に好感をもって重んじられ、何かパーティがあると、后は乞うて、この人なつこい時康親王を主人役にされるのであった。
父帝の仁明帝は人に愛される性格だったらしいので、人柄のよさは父君ゆずりであったのだろう。
親王は順調に官位をふんで年を重ねていかれたが、社交界ではともかく、政界とは無縁ノのまま一生を終えられるかにみえた。野心のない親王は、政界実力者の藤原基経とはいとこの関係であり、親しくつき合っていられたが、その無心で人なつこい性格がはからずしも、親王を脚光の座へ押しあげることになった。
時の陽成天皇は、君にあるまじき無道のふるまいがあるというので十七歳で退位させられた。皇族男子はたくさんひしめいていたが、幼かったり臣籍に下ったりしていて、皇位継承者の詮議は揉めに揉めた。そのとき基経は、人望のある五十五歳の老親王
(当時では五十五は老人の部類である) を帝位に据え、事態を収拾した。在位四年、次の宇多天皇は、光孝天皇の第七皇子であった。
五十五で天皇になったので、長いこと不遇だったと思われるかもしれないが、親王は経済的にも窮乏していなかったし、風流人であったから人生を楽しまれたに違いない。金田元彦先生のお説によれば
『源氏物語』 の光源氏は <光孝天皇さんがモデルではないか> ということである。光孝さんは六条邸
(ロクジョウテイ) に生まれていられるという。 『源氏物語』 の 「若菜」 の巻にちなんで、源氏マニアの定家は光孝さんの
「若菜」 の歌を百人一首に入れたのではないでしょうか、と先生はおっしゃるのである。
── ともあれ、春先の楽しい歌である。
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「田辺聖子の小倉百人一首」 著:田辺 聖子 絵:岡田 嘉夫 ヨリ
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