〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 
== 小 倉 百 人 一 首 ==

2008/07/01 (火)  小倉百人一首 (みちのくの)

みちのくの しのぶもぢずり たれゆゑ に 乱れそめにし われならなくに
(河原かわらの 大臣だいじん )
陸奥の 信夫の里の
名産品 信夫捩じ摺り
もじずりの衣の模様は
おどろに乱れていますが
私のこころも それに似て
あやしく 乱れ初めました
── たれゆえと おぼしめす
── あなたゆえではありませんか
── あなたのために こころ乱した
── この私ではありませんか

「しのぶもじずり」 はまだ定説はない。信夫 (シノブ) の里は現在の福島県福島市である。しのぶ草 (のきしのぶ) の葉を摺りつけて染めたものを、しのぶもじずりというともいい、また、模様を彫った石におしあてた布を山藍でもって染めたともいう。その石を 「しのぶもじずりの石」 といっている。芭蕉が 『奥の細道』 でたずねているのはこれである。
「はるか山かげの小里に、石なかば土に埋れてあり」 として、
「早苗とる 手もとや昔 しのぶずり」
の句を得ている、歌によまれた古雅 (コガ) な風習は、芭蕉の時代にすら廃絶していた。
もじずりのもじは文字ではなく、よじり、ねじる、という意味の 「もじ」 であろう。信夫には信夫布とて、布も産出した。その布にすりつけ染めた柄は乱れ模様であった。そこから、 「しのぶもじずり」 は、 「乱れる」 という言葉を引き出す序になる。この 「乱れ」 には、恋する女の黒髪の乱れが示唆されているという解釈もある。
この歌は古来から人々に愛されたらしく、 『伊勢物語』 冒頭、 「むかし男」 ではじまる、業平とおぼしき主人公の、初冠 (ウイコウブリ) のくだりにも出てくる。業平は、歌の作者、河原左大臣と大体同じような時代の人であるが、その初恋の物語に、この歌を援用 (エンヨウ) している。
元服して間もない、初々しい少年が、奈良の里で美しい姉妹の姫たちを見かけて、 「心地まどひけり」 ── あやしく心乱す。
少年は着ていた狩衣 (カリギヌ) の裾を切って、それに歌を書いて贈った。それは 「しのぶずり」 の紫の狩衣であった。
「春日野の 若むらさきの すりごろも しのぶの乱れ かぎり知られず」
春日野の若い紫草のように美しいあなたたち、ぼくの気持ちはこの紫のしのぶずりの衣のように、千々 (チヂ) に乱れてしまったよ・・・・・
若々しい匂 (ニオ) やかな歌になっている。
河原左大臣は源融 (ミナモトノトオル) (822〜895) の通称である。嵯峨天皇の皇子だったが臣籍に下って源姓となる。なかなか頭もよくやりてだったとみえて、臣籍に下った皇族の中では群を抜いて頭角をあらわした。国守を歴任し、三十五歳で参議になり、中央政界へ乗り出している。順調に累進し、左大臣になった。家柄や毛並みに寄りかかっているだけの人ではなかったらしい。
それだけに権勢欲も猛烈だった。
元慶 (ガンギョウ) 八年 (884) 、陽成天皇が廃位され、時代の帝に誰を立てようかという会議が宮中で開かれた。時の最高権力者は、藤原基経 (フジワラノモトツネ) である。公卿 (クギョウ) 一同は、基経の意中を忖度 (ソンタク) して口をつぐんでいる。その中で融はあえて発言する。 『大鏡』 によれば、
「いかがは。近き皇胤 (クワウイン) をたづねば、融らも侍るは」
── 議論するには及ばぬわ。近い天皇の血筋を求めるなら、この融もおるものを。
六十二歳の融は、皇位をのぞんで野心に燃えていたのである。
そのトシで、と嗤 (ワラ) うに当らない。権勢欲は年を加えるほど烈しくなるようで、現代の老齢政治家もみな重い大臣病にかかっているではないか。
基経は、きっぱりと反駁する。
「皇胤なれど、姓 (シャウ) たまはりて、ただ人 (ヒト) にて仕へて、位につきたる例 (タメシ) やある」
── 天皇のお血筋といっても、源姓をたまわって臣下になって仕えたかたが、皇位についた前例はありません。
このとき推されたのは、人望ある時康 (トキヤス) 親王、光孝天皇であった。
この融は、権勢と同時に莫大な富も蓄えていたらしく、それに美的センスもあって、豪奢 (ゴウシャ) な逸楽 (イツラク) の生活を送った。
東六条に河原院 (カワラノイン) という豪邸を造り、その庭には歌枕で名高い陸奥塩竈 (シオガマ) の浦の風光をそのままうつした塩がまを立て、塩を焼くさまをさせて、都に居ながらみちのくの風趣をたのしんだ。前代未聞の贅沢として一世に評判となった。そのため、彼のことを河原左大臣と呼ぶようになったのである。宇治にも別荘を持ち、これは後に平等院となった。
融にこの恋歌を贈られた女は、どんな女だったのであろうか、この歌は 『古今集』 巻十四の恋の部に 「題しらず」 として出ていて、歌の背後の事情は分らない。
「それはう〜んと若い、世の中のことも、男女の恋の諸訳 (ショワケ) も知らん少女かもしれまへん」
というのが熊八中年の解釈である。
「この歌には、思いが相手に届かん怨みが、そこはかとなく、ただようている。 ── 一流貴族、家柄良うて金があって権勢があって、── というような男を、平気でキリキリ舞いさせるのは、まだ欲もない美少女ですな。美少女にしてみれば、融は “ヘンなオッチャン” と思うだけ。── それだけよけい融はのめりこむ」
してみると、これはロリコンの歌なのか。

「田辺聖子の小倉百人一首」  著:田辺 聖子 絵:岡田 嘉夫  ヨリ