〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 
== 小 倉 百 人 一 首 ==

2008/06/30 (月)  小倉百人一首 (わたの原)

わたの原 しま かけて でぬと 人には告げよ 海人あま のつり船
(さん たかむらら )
はるけき大海原に
あまたの島々は点々と浮かぶ
島から島へ漕ぎめぐりつつ
私は流人島へ追われていったと
都のあの人に伝えておくれ
釣り船の漁師たちよ
伝えてよ 愛する人に

百人一首には流人の歌が多いが、この篁もそうである。 『古今集』 巻九・羇旅 (キリョ) に、 「隠岐の国に流されける時に、舟の乗りて出で立つとて、京なる人のもとにつかはしける」 としてみえる。
小野篁 (オノタカムラ) は才気があったが、ありあまる才能をもてあまして、世間とソリが合わないところがあった。漢詩文にすぐれ、書も非凡で、性格は気骨があって恐れを知らなかった。
仁明 (ニンミョウ) 天皇の承和 (ショウワ) 五年 (1838) 遣唐副使に任ぜられたが、大使の藤原常嗣 (ツネツグ) の船が破損していたので、常嗣は篁の乗る船と取り換えることを天皇に願い出た。天皇がこれを許可されたので、篁は怒って仮病を使って乗船せず、しかも遣唐を諷する詩文を書いたので咎めを受け、官位を剥奪されて隠岐の島へ流されたのである。
そのときの歌である。
篁は漢詩文にもすぐれていたが、和歌も骨格のがっしりした、風韻のあるおもむきで、この 「わたの原・・・・・」 もいい。机上派の歌人にない、悲壮なリアリティをたたえている。
篁はこのとき三十七歳だった。また京へ帰れるかどうか、生きて再び愛する者を見ることができるかどうか。隠岐は海の果ての辺土、それは雲煙万里 (ウンエンバンリ) の彼方に思われる。心細いが、しかし篁はおじ恐れているだけではない。
篁は 「野狂 (ヤキョウ) 」 というアダナがあるぐらいで、直情径行 (チョクジョウケイコウ) の性格、スジの通らぬ曲がったことが大嫌いな男である。
“ オレにわるい点はない ”
というキッパリした信念を持っていたろう。篁は常嗣の理不尽な駆け引きや、朝廷トップの不明朗な措置に我慢できなかったのだ。
その気負いが、多情多感な詩人の詩心に火をつけた。歌には高揚した悲壮美がある。
篁は詩才を惜しまれて、二年後、許されて京へ還った。その後は順調に累進して、のちには参議にまですすんだ。参議は閣僚クラスである。
この篁は古くから、奇ッ怪な伝説にまつわられる人である。異母妹 (イボマイ) と愛しあったとか、地獄の冥官 (メイカン) であったとか、いわれている。
京都の六道 (ロクドウ) の辻 (ツジ) の珍皇寺 (チンコウジ) は六道詣 (モウデ) で有名であるが 、ここは冥界 (メイカイ) に入っていく通路であるという。
篁はその六道の辻から冥界へ通い、そこで閻魔大王のもとで地獄の冥官として、罪人を裁いていた。そうして嵯峨にあるもう一つの 「生の六道」 から、現世へ還ってきた。あの世とこの世を自在に往復して、人々におそれられたという。
なんでそういう噂が生まれたのかわからない。
とにかく変わり者だったから逸話が多く、それがさまざまな風説を呼び、虚構は虚構を生んでいったのであろう。しかし史伝に伝えられる篁は、変わり者といっても、ヒンシュクされるような、いやもな人間ではなかったようである。六尺ゆたかの大男で、友情にあつく、母にやさしく、妻にも愛情深かった。
後世の人の作であるが、 『篁物語』 というのがある。篁の歌を中心にした歌物語であるが、平安末期、鎌倉前期ごろに成ったのではないかといわれている。私はこの 『篁物語』 が好きで、 「水に溶ける鬼」 という小説に書いた ( 『鬼の女房』 所収。角川書店刊)
篁は勉強を教えていた異母妹に恋してしまう。それで仲を裂かれ、妹は死ぬ。
死んだ妹は幽霊になって篁のもとにあらわれた。 「魂なん、夜な々々来て語らひける」 とある。 「この男、涙つきせず泣く」 。篁はその涙を硯の水にして法華経を書いて供養した。
のち右大臣の娘と結婚したが、結婚披露宴の前の日、妹のことを思い出して悲しんでいると、また妹の幽霊が現れて “あたしを忘れないといったのに、もう、ほかの人と結婚なさるのね” と怨ずるので、篁はいとしいやら悲しいやらで泣き沈み、とうとう披露宴をすっぽかしてしまった。のち右大臣に、どうしておいでにならなかったかと聞かれ、 「すなをなりける人にて」 つつまずわけを話したという。 「すなをなりける人」 というのがいい。
冥府の役人であったとか、幽霊を恋人にしていたとか、不気味な噂が篁には多いのは、彼があまりにも純粋で、 「素直なりける人」 だったからではないか。純粋さのはばが大きすぎて、世間には彼をはかる物指しがなかったのであろう。
「幽霊妻というのは可愛いでしょうなあ」
というのは熊八中年である。
「自分にだけ見えて、人に見えないというのは。それに着る物、食べるものにカネはかからず」
「でもどこへでも現れたら不便でしょう? 秘密が持てませんから」 と私。
「与太郎あたりと違いますよ。秘密なんかない年代はもう、幽霊妻が望ましいですなあ」
と熊八中年は悠然としていい、中年の貫禄十分である。
── 小野篁の遠祖には、遣隋使、小野妹子がいる。書家の道風 (トウフウ) は、篁の甥である。小野小町も、その一族だろうといわれ、風雅の家系である。

「田辺聖子の小倉百人一首」  著:田辺 聖子 絵:岡田 嘉夫  ヨリ