〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 
== 小 倉 百 人 一 首 ==

2008/06/26 (木)  小倉百人一首 (かささぎの)

かささぎの わたせる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける
(中納言ちゅうなごん 家持やかもち )
冬の夜空に凍りきらめく星々
七夕の夜にはカササギが翼をうち交わし
天の川に橋をかけるというが
おお、 この地上の橋にも白く霜が下りている
それを見れば夜もふけたことが思われる
これはなんだか、お正月の夜らしい感じを呼び起こす歌で、子供のころ、お正月の夜、外へ出ると身を切るばかり寒かった。
ゴミ箱の上なんか霜が白くおりている (私は町っ子だったから、野面の霜なんか見たこともないわけ)
家の前は電車道だが、レールが白く凍ってみえる。
お正月の夜はしんと更けており、人っ子一人通らない。
みなそれぞれ、家の中で一家団欒の時を過ごしている。戦前のことゆえテレビなんかないから、家族で双六やゲーム、百人一首などに興じているのである。昔は大人中心の家庭生活で、生計の道のせわしさに子供らは片隅に追いやられている。現代のようにお子様中心という生活スタイルではないのである。それがお正月の夜ばかりは違う。
子供を中心に、大人は遊んでくれ、甘えさせてくれる。
サァ、子供たちはそれが嬉しくてたまらない。
父親や祖父、叔父たちといった、 (男の大人) が子供の相手をしてくれるのは、一年に一ぺん、お正月だけである。昔の男たちは仕事と自分の楽しみに没頭して、子供をかまうヒマはあまりない。
蜜柑が山のように積んであり、飴玉やお菓子もある。火鉢ではかき餅が焼かれている。
「ぜんざいはどないだす」 と台所で祖母の声がする。
甘酒も残っている、などとオナゴシさん (女中さん) がいう、華やいだ雰囲気なのだ。
「よばれまひょか」
と大晦日から遊びに来ている親類の婆さんやなんか嬉しげに答え、子供には天国のような日々。
── そういうとき、フト、外へ出てみると荒涼しんかんとした夜の町。綿入れの、元禄袖、お対の着物羽織を着せられた私は、ふところ手をしつつ、子供ながらに
「歓楽きわまって、哀愁生ず」
という気分を味わった。
たいていこの頃は、一月の三日時分であった。明日からはもうお正月やない、オトナたちも遊んでくれへん、── という淋しさ。
ところで、子供の頃の私は、この歌からカササギが橋の上でぽつんと立っている姿をよく連想したものだが、それは中国の七夕伝説を知らなかったからである。
七月七日、一年に一度、織女と牽牛が天の川をわたって逢う日、カササギが羽を並べて橋を作る。
牽牛 (彦星) はカササギの橋を渡って織女に逢いに行くという伝説である。
正岡子規はこの歌の嘘が面白いと言う。
「全くないことを空想で現して見せたるゆえ面白く感せられ候。嘘を詠むなら全くないこととてつもなき嘘を詠むべし、しからざればありのままに正直に詠むがよろしく候」 ( 「歌よみに与うる書」 )
この 「かささぎのわたせる橋」 を虚構と解して面白がっているようである。
この 「はし」 は、賀茂真淵以来、宮中の階段のことではないかといわれている。しかし、子規のように天界の空想の橋とするもの、地上の橋とするもの、さまざまの説がある。
私は天と地の情景を一首のうちに詠んだものとして、地上の橋を指すのではないかと思う。作者は天を仰いでカササギの橋を連想し、目を転じて地上の橋の霜をながめたのではなかろうか。
凛烈たる寒気に身もひきしまる思いがする。
例により織田正吉氏の百人一首パズルでいけば、この歌は 「霜」 や 「天の橋」 の一群で、やがて後鳥羽上皇の離宮のあった 「水無瀬 (ミナセ) 」 を暗示し、 「天」 から連鎖して、次の7番の 「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」 をさそい出すという。
この作者といわれる大伴家持だが、この歌は 「万葉集」 には載っていなくて、 『家持集』 に第五句を
「夜はぬけにけり」
として載っている。
家持は 『万葉集』 編集にタッチしたのではないかといわる歌人。三十六歌仙の一人だが、おびただしい名歌を数多く残しており、どう考えてみてもこの 「かささぎの」 が歌歴を代表する作品とは思えない。しかも、家持の作かどうか、断定しにくいような歌を、定家はなぜ採ったのであろうか。それも私の素朴な疑問である。
中世の評価と現代のそれとは違うといえばそれまでだが、織田氏のいわれるように、定家は百首で壮大なクローズワードパズルをもくろんだと説明されれば、納得できる。
「カササギというのはどんな鳥です?」
とこれも町っ子の与太郎青年はいう。
「カラス科の鳥で、ただしおなかのところは純白だそうです」
「なるほど」
と与太郎青年は大きくうなずく。
「鳥が羽を広げて橋を渡すと、地上から見上げる人間の目には、モロ、白い部分が見えますね。下から見上げれば白い橋ですな」

「田辺聖子の小倉百人一首」  著:田辺 聖子 絵:岡田 嘉夫  ヨリ