〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 
== 小 倉 百 人 一 首 ==

2008/06/25 (水)  小倉百人一首 (奧山に)

奧山おくやま紅 葉も み じ ふみわけ 鳴く鹿しか の 声きくときぞ 秋はかなしき
(猿丸さるまる 太夫たゆう )
秋もたけた山の奥深く
散り敷く紅葉をふみわけて
鹿は鳴く
妻恋うて哀々と鳴く鹿よ
ああ その声を聞くとき
秋のあわれは深く身に沁む

『古今集』 秋の歌に 「是貞親王 (コレサダノミコ) の家の歌合の歌」 として、 「よみ人知らず」 で出ている。
この歌の解釈は二通りあって、紅葉を踏み分けているのは鹿とする説と、人とする説がある。しかし、鹿が紅葉を踏み分けつつ鳴く、その声を、人里で、人がはるかに聞いている、とした方が自然であろうし、屏風の絵に添えられた歌であれば、いっそう 『古今』 的な美の世界である。
あき深きころの何とはないせつない物思いを歌って、わるくはない歌。
ただし、私は、鹿の鳴く声をハッキリ耳にしたわけではない。動物図鑑で調べてもたが、泣き声までは書かれていない。
奈良へ行くと鹿がいるが、あそこの鹿はのそのそと天衣無縫に、あるいは傍若無人に歩きまわり、人の手の鹿センベイを奪い取り、大きな顔で車道を突っ切り、シカたのない鹿どもである。鳴く時もあるのだろうが、結構、奈良公園も交通騒音がはげしくて、秋のあわれを思わせる鳴き声は聞くことが出来ない。
鹿の鳴く声は情緒深いものらしく、中国で古くから詩に詠われている。中国最古の詩集 (わが国の 『万葉集』 より千年以上も古い) 『詩経』 に 「鹿鳴」 の詩がある。この歌は群臣や賓客をもてなす宴会で歌われた歌らしい (明治の鹿鳴館という命名は、そこからとられている)
それには 「?? (ユウユウ) たる鹿鳴 野の苹を食む」 とあり、?? (ユウユウ) というのが鹿の鳴き声である。
字の感じとしては、のんびりした鳴き声のようである。鹿に紅葉の取り合わせは伝統的な美しい意匠で、日本美の一つ。
しかしこの美しい歌の作者に擬せられている猿丸大夫は、なぜか歌仙絵では風体いやしきオッサンに描かれている。
この猿丸大夫というのは、どうも実在の人物ではないようだ。
伝説上の人物が、いつか実在の人物のように伝えられてしまったらしい。
『古今集』 の真名序 (マナノジョ) (漢文の序) に、
「大友黒主 (オオトモ クロヌシ) の歌は、古 (イニシエ) の猿丸大夫の次なり」
とある。黒主の歌は昔の猿丸大夫の系統である、と評論されている。そしてその後に続く文章は、当然、黒主評なのであるが、いつか猿丸大夫評のごとく印象されたらしい。
「すこぶる逸興 (イッキョウ) あれども、体甚だ鄙 (イヤ) し」
そこで歌仙絵に画かれた猿丸大夫はひょうきんな風貌の目はぎょろ目、頬骨の出た、人品骨柄、上品といえない庶民のオッサンになっていると言う次第。
猿丸大夫というのは、すでに 『古今集』 の時代から、伝承の人物になっていたらしい。ひょうきんで脱俗的な歌人で、山中に隠れ住んで歌をよんでいる、当時の人にはそんなイメージがあったらしい。そのくせかんじんの歌は一首も伝わらない。
文献的には、 「真名序」 の一か所だけである。どの歌集にも歌は載せられていない。
『猿丸大夫集』 と伝えられるものも、みな、よみ人知らずの歌を集めたもので、探っていけばいくほど、猿丸大夫の存在は茫々と歴史の闇の中へ消えてゆき、ナゾは深まるばかりである。誰が、作者不明の歌ばかり集めて 『猿丸大夫集』 と名付けたのか、何か意図があったのか。
池田弥三郎先生は、猿丸大夫の 「大夫」 は、官職を示す大夫ではなく、神職を意味する大夫であり、猿丸大夫を名乗る多数の宗教関係者が、諸国を巡業していたものとみるべきであろうとおっしゃっている。してみると、たくさんの猿丸大夫のうちのある人が、集団を権威づけるために作者名の散佚 (サンイツ) した歌を集めて、 『猿丸大夫集』 をつくったのであろうか。
すべてはナゾである。
しかし 『古今集』 の頃から百年も経つと、猿丸大夫は実在の人物と信じられはじめた。幻の虚像は次第にひとり歩きをはじめる。
藤原公任 (フジワラノ キントウ) は王朝中期の有名な歌人で評論家であるが、その撰んだ三十六歌仙に、猿丸大夫を入れている。定家はそれに拠って、百人一首に 「奥山」 の歌の作者を、ためらいなく猿丸太夫としたのであろう。
梅原猛先生は 『続日本紀 (ショクニホンキ) 』 に 「柿本朝臣? (カキノモトノアソンサル)」 という人物が出てくるのを重視され、柿本人麿と柿本? (サル) は同一人物という説を立てられた。しかも人麿こそ猿丸大夫そのものだった、とされる。人麿は政治犯として深い山中に流された。山中に隠れ住む歌人、世捨て人 ── その記憶が猿丸大夫のイメージをつくったといっしゃっている ( 『水底の歌』 集英社刊) 。猿、という名につながる猿丸大夫のナゾは、このお説によれば、明快に解けるのである。
「猿飛佐助というのも、その一族ですか」
与太郎は突拍子もないことを聞く。
「いや、猿飛はフィクションでしょう」
「フィクションでも何かヒントはあるはず。猿丸大夫は忍者の一族ではなかったか。柿本人麿は忍者の棟梁ではなかったか」
「テレビドラマの見すぎです」
と私は与太郎の口を封じたが、国文学にもたくさんのナゾがあり、中々に楽しいのである。

「田辺聖子の小倉百人一首」  著:田辺 聖子 絵:岡田 嘉夫  ヨリ